横浜地方裁判所 昭和48年(行ウ)30号
原告
今泉哲夫
右訴訟代理人弁護士
篠原義仁
(ほか一二名)
被告
横浜西労働基準監督署長 東一夫
被告
労働保険審査会
右代表者会長
中村博
右両名訴訟代理人弁護士
西山敦雄
右両名指定代理人
河野功夫
(ほか三名)
被告横浜西労働基準監督署長指定代理人
野上茂樹
(ほか二名)
被告労働保険審査会指定代理人
岩田守雄
同
石井健三郎
主文
一 被告横浜西労働基準監督署長が原告に対し昭和四五年五月二七日付でした労働者災害補償保険法による休業補償給付を支給しない旨の処分及び昭和四五年一二月二一日付でした同法による療養補償給付並びに休業補償給付を支給しない旨の処分をそれぞれ取消す。
二 原告の被告労働保険審査会に対する請求を棄却する。
三 訴訟費用は、原告に生じた費用の二分の一と被告横浜西労働基準監督署長に生じた費用を同被告の負担とし、原告に生じたその余の費用と被告労働保険審査会に生じた費用を原告の負担とする。
事実
第一当事者の求める裁判
一 請求の趣旨
1 主文第一項と同旨
2 被告労働保険審査会が原告に対し昭和四八年八月二一日付でした原告の再審査請求を棄却する旨の裁決を取消す。
3 訴訟費用は被告らの負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
1 被告横浜西労働基準監督署長
(一) 原告の請求を棄却する。
(二) 訴訟費用は原告の負担とする。
2 被告労働保険審査会
(一) 原告の請求を棄却する。
(二) 訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 被告らの処分
(一) 原告は、昭和四五年三月一〇日、被告横浜西労働基準監督署長(以下「被告監督署長」という。)に対し、「頸腕症候群、腰痛症」の傷病名をもって、昭和四四年一二月二五日から昭和四五年二月二三日までの六〇日間について、労働者災害補償保険法による休業補償給付を請求したところ、被告監督署長は、昭和四五年五月二七日付で、休業補償給付を支給しない旨の処分をした(以下「(一)の処分」という。)。
(二) また、原告は、被告監督署長に対し、「鉛中毒症」の傷病名をもって、昭和四五年六月一五日以降の療養補償給付及び昭和四五年六月一五日から同年一二月一八日までの休業補償給付の各請求をしたところ、被告監督署長は、昭和四五年一二月二一日付で右療養補償給付及び休業補償給付を支給しない旨の処分をした(以下「(二)の処分」という。)。
(三) 原告は、これらの処分を不服として、(一)の処分については昭和四五年七月一七日付で、(二)の処分については昭和四六年一月二八日付で、神奈川労働者災害補償保険審査官に対し、審査請求をしたが、同審査官は、昭和四六年四月二七日付で、これらを棄却する旨の決定をした。
(四) 原告は、更にこれを不服として、昭和四六年七月九日付で、被告労働保険審査会(以下「被告審査会」という。)に対し、再審査請求をしたところ、同審査会は、昭和四八年八月二一日付で、これを棄却する旨の裁決をした。
2 被告監督署長のした本件(一)及び(二)の処分には、原告の疾病が鉛中毒症であって、原告が従事してきた鉛蓄電池製造過程における作業によって発症したものであるにもかかわらず、原告の疾病を業務に起因しないとした違法がある。
(一) 慢性鉛中毒症について
(1) 鉛中毒症は、水銀中毒、ベリウム中毒等と並んで最も重大でかつ多数の発症例があり、職業病中毒としては代表的なものである。
職業病としての鉛中毒症は、日本だけでなく、イギリスその他の国の蓄電池工場等で多数の症例がみられる旨の報告がなされており、工業過程においては、活字鋳造、植字、塗装、製陶ことに釉薬塗り、削子磨き、蓄電池製造に携わる者に発症することが多い。
鉛の体内への侵入経路としては、呼吸器からの吸収と消化器からの吸収があげられるが、消化器からの吸収は、肝臓を経由する点からみて、呼吸器からの吸収に比べてその影響は少なく、また、蓄電池工場等の職場環境からみても、呼吸器からの吸収による影響が圧倒的に大きい。
(2) 鉛中毒症の特徴は、全身症状として諸症状が現れ、慢性症状のときは、それが長期にわたって継続すること、また、鉛中毒症に特有の症状を有していないことである。いわゆるリスト・ドロップを特有症状と考えるものもあるが、リスト・ドロップは、鉛中毒症の最も進んだ段階で現れるものであり、現在では、早期発見、早期治療の結果、そこまで進んだ患者は報告されていないのが実情である。
(3) 鉛中毒症の臨床症状として、次のものがあげられている(労働省労働衛生課編「鉛中毒予防規則の解説」より。)。
病理学的変化
(イ) 視診上の変化
無力状態及び悪液質(慢性)、顔面及び唇の痙攣、皮ふの蒼白(砒酸鉛・亜急性)、皮ふの鉛灰色(慢)、乾癬(砒酸鉛)、紫斑病、壊疽(砒酸鉛)、血管の攣縮(亜急性)、毛髪脱落、独立筋群の萎縮、骨の変化(骨ずいの障害)
(ロ) 呼吸器
腐敗臭、ビオー氏型呼吸、鼻血(血小板減少による)、嗅覚脱出(慢)、声帯麻痺、嗄声(咽頭神経麻痺)
(ハ) 循環器
血管収縮(慢)、血管運動障害(砒酸鉛)、血管の退行変性
(ニ) 消化器
食欲減退(慢)(砒酸鉛)、悪心、嘔吐(鉛<急性><砒酸鉛>・<急性><酢酸鉛>)、歯の着色、歯肉と歯の辺縁との着色線(慢、砒酸鉛<亜急>)、歯肉炎(慢)、口腔炎(慢)、金属味、流涎(慢)、口内乾燥感、口渇(酢酸鉛)、食道筋肉の麻痺、下痢(慢性初期<亜急性>砒酸鉛)、疝痛(亜急性、急性砒酸鉛)、裏急後重(慢)、便秘(慢性後期)
(ホ) 消化腺及び泌尿器
耳下腺炎(慢、時折)、肝炎(慢、砒酸鉛)、腎炎又はネフローゼ、腎臓の疝痛、多尿、脾腫、黄疽
(ヘ) 内分泌腺
睾丸の障害(慢)、無月経又は月経困難(慢)、月経過多又は流産(慢)、甲状腺の機能亢進(亜急)、副腎障害
(ト) 神経系及び感覚器
(a) 脳及び脊ずい
頭痛(<砒酸鉛>)、不眠、過敏(<砒酸鉛>)、疲労、倦怠又は催眠(急、砒酸鉛)、人事不省、昏睡又は無感覚状態、譫妄、躁病(慢)、うつ病(慢)、脳炎、痙攣、震せん、筋肉痙攣、筋肉の攣縮(慢)、運動失調、筋肉の麻痺又は不全麻痺(<砒酸鉛>)、反射亢進、不安、興奮
(b) 末梢神経
神経系(<砒酸鉛>)、筋肉痛、関節痛、知覚麻痺、知覚異常(<砒酸鉛>)、筋肉萎縮(慢)、握力の減退
(c) 視器
結膜炎(砒酸鉛に限る)、眼瞼下垂(慢)、散瞳、瞳孔強直(慢)、眼球の位置異常(慢)、眼筋痙攣(慢)、眼球突出(亜急性)、斜視(慢)、眼球震とう(慢)、球後神経炎(慢)、視神経炎(慢)、眼球内圧の低下、眼華内発(慢)、視力障害(慢)、視力喪失(慢)、視野狭小(慢)、複視(慢)、色神障害(慢)、黄視症(慢)
(d) 聴器
難聴(慢、時折)、前庭機能障害、めまい等(<亜急性砒酸鉛>)
(チ) 血液及び造血器管
貧血(亜急性、慢性<亜急性砒酸鉛>)、赤血球の大小不同又は奇型(慢)、有核赤血球又は網状赤血球(慢性、早期)、好塩基点赤血球増加(慢)
生化学的変化
(イ) 血液
赤血球抵抗の増加、赤血球容積の増加(慢)、尿毒症(急・慢)、尿酸の増加、カルシウムの増加(亜急性)、ヘマトクリット低下、血中鉛量増加
(ロ) 尿
蛋白尿(<砒酸鉛>)、血尿(急)、ポルフィリン尿(慢)、糖尿(疝痛後)、ウロビリノーゲン尿(慢、<砒酸鉛>)、デルタアミノレブリン酸の増量、尿中排出鉛量の増加
(4) 前記のように、鉛中毒症は、鉛蓄電池製造作業に従事していた者に発症がみられ、その症状は右のようなものであるが、ある人が職業性の鉛中毒症にかかっているかどうかは、その症状と職場環境(鉛暴露の有無及びその程度)を中心にみるべきであり、各種検査結果はその補助手段とすべきものである。
(二) 原告の職歴並びに職場環境について
(1) 原告は、昭和二四年一一月一日古河電気工業株式会社電池製作所(同社は、昭和二五年古河電池株式会社となる。以下「古河電池」という。)へ入社し、「充填職場」(合鉛〔鉛とアンチモンの合成物〕で作られた格子状の板〔基板という。〕にペースト〔鉛粉を稀硫酸で練った粘土状のもの〕を塗り込む作業内容の工程)で、一枚一枚布に包まれた充填板を、布をはがして駒(木型で充填板を一定の間隔で立てられるようになっているもの。)に立てる作業に従事した。
当時は、ペーストの酸化を防止し、品質を一定にするためペーストを塗り込む所と駒立てをするところは、出入口とペーストの搬入口を除き高さ約三メートルの板壁で囲まれていた。また、作業台の上や布製の前掛け、作業服などに付着したペーストは、短時間で酸化し、前掛けなどは軽くたたいただけでペーストが舞い上ってくる状態であった。
原告は、当時、蒸気乾燥させた充填板に張りつけられていた紙を、乾燥機の中ではがす作業を手伝っていた。蒸気乾燥は、午前九時ころから午後四時ころまで行ない、翌日の朝扉を開けて紙をはがしていた。紙をはがすのは素手で行ない、また、乾燥機は、幅約二メートル、高さ約三メートルであり、その中へ数人で入り、木のさんに釣り下がっている充填板を一枚一枚抜き取り紙をはがすので、乾燥機の中はペーストが飛散しており、その臭いは異常であった。そして、午前、午後の一〇分間の休憩時間は、手指に鉛が付着したまま煙草を吸っていた。
その後、次の工程である乾燥作業に変わり、充填板を乾燥(蒸気又は自然乾燥)させ、種別毎にわけて台に積み上げたり、次の工程である化成工場へ手押車やトロッコに積んで運ぶ作業に従事した。充填板を乾燥棚から降ろすときや、保管するために台に積み上げるときなどには、鉛の飛散が激しかった。
このようにして職場内に飛散した鉛は、通路の場合は水洗で流すが、その他はほうきで掃除したため、鉛がもうもうと職場内に飛散する状態であった。
(2) 原告は、昭和二五年一二月四日から昭和三〇年一〇月三一日までは、研究検査、技術研究などの課に属し、前半は鉛蓄電池の試作品などを作る作業に従事し、後半は鉛蓄電池のテストをする電気試験室に移った。
この間鉛を直接扱ったのは、試験をするバッテリーの端子に配線をするためにハンダ付けをしたり、試験の終了した電池を解体し、極板をこわすときに素手で極板を扱ったくらいである。
(3) 昭和三〇年一一月一日から昭和三一年五月三一日まで、原告は、産業組立職場(産業用鉛蓄電池を組立てる作業)で、簡単な端子のボルト締めや流れ出たパラフィン、コンパウンドを取除く作業に従事していた。
同職場は、鉛粉を作る職場の裏手になっており、鉛粉職場の出入口が開け放しになっていたために、鉛粉が舞い込んできていたので、のどが甘く感じることがしばしばあった。
(4) 昭和三一年六月一日から昭和三五年二月一五日までは(1)記載の充填職場で主な作業としてプレス作業とペーストを塗り込む充填作業に従事した。
作業場の西側は、両端と真中に幅二メートルくらいの通路があり、その他は明り窓をはめ込んだコンクリートの壁で仕切られており、東側は、合鉛を溶かし型に入れて基板を作る作業の手鋳造職場、基板のはみ出し部分を取除く仕上職場及び純鉛とアンチモンなどを溶け合わせて合鉛を作る合鉛職場であり、原告らの職場が吹きだまりのようになっていたので、鉛を溶かしたときに出るヒューム(鉛の蒸気)や酸化煤塵ヒ素の悪臭などが特にひどかった。冬は、暖房設備がないので、鋳造職場の溶解釜の上やその周囲で休憩していたのでヒュームをまともに吸っていた。
(5) 昭和三五年二月一六日から昭和三七年二月一二日まで、労働組合専従となり、作業には従事しなかった。
(6) 昭和三七年二月一六日から昭和四四年三月五日まで、充填職場で作業に従事した。
作業場は壁の反対側にあり、隣は機械でペーストを塗り込む自動充填職場と自動車用蓄電池を組立てる自動車組立職場となっており、原告らの作業場は吹きだまりとなっていた。北側は、鉛粉を練る練粉職場で、その隣が鉛粉を作る鉛粉職場となっており、鉛粉が四六時中原告らの作業場に飛んできていた。南側の出入口付近に充填板を乾燥させる乾燥棚と充填板を保管する作業台があり、出入口から吹き込む風によって原告らの作業場へ鉛粉が飛んできていた。
原告は、当時計量管理をやっており、朝と作業終了前に前だけが開くようになっている計量棚の掃除をしていたが、計量器の台の表面は粉塵でおおわれていた。
(7) 昭和四四年三月六日から昭和四五年六月一四日まで、産業組立作業に従事した。
(8) 被告監督署長は、次のとおり、古河電池に対して改善指導をしているが、このことは、古河電池の職場環境の鉛濃度の高さを裏づけるものである。なお、昭和四三年九月二五日以前の監督結果については資料がないのであって、改善指導がなかったのではない。
(イ) 昭和四三年九月二五日の監督結果
(a) ニーニラインの溶接作業箇所に局所排気装置がないこと。
(b) 第一工場の溶接作業箇所に局所排気装置がないこと。
(ロ) 昭和四五年九月一一日の監督結果
(a) 群溶接の作業場所に局所排気装置がないこと。
(b) 組立(槽入れ)の作業場所に局所排気装置がないこと。
(ハ) 昭和四六年九月二九日、一〇月四日の監督結果
(a) 鉛粉工場の局所排気装置が囲い式又はブース式になっていないこと。
(b) 鉛作業の屋内作業場内で喫煙をさせていること。
(ニ) 昭和四六年一一月一八日及び一二月二日の監督結果
(a) FC(鉛充填)工場の鉛粉充填作業に伴う枠組み、枠はずし作業箇所に適法な局所排気装置がないこと。
(b) FC(鉛充填)工程の仕上げ作業に係る溶接、切断作業箇所に適法な局所排気装置がないこと。
(c) 充填極板取出し作業(スタッフ作業)と組立工程における極板そろえと切断作業箇所に適法な局所排気装置がないこと。
(d) 鉛粉工場のホッパー取出口及び容器づめ計量調整作業箇所にろ布式除塵装置を設けた囲い式又はブース式局所排気装置がないこと。
(e) 自動鋳造機に鉛合金飛散防止のための覆がないこと。
(f) 鉛業務を行なう作業場ごとに鉛作業主任者を選任していないこと。
(g) 鉛業務を行なう作業場以外の場所に休憩室がないこと。
(h) 喫煙禁止の表示を見やすい場所にしていないこと。
(ホ) 昭和四七年四月一四日の監督結果
(a) 手充填作業台に練粉が床にこぼれることを防止するための受樋、受箱等を設けていないこと。
(b) 自動車電池組立工場等の局所排気装置のダクトが適当な箇所に掃除口を設けるなど掃除しやすい構造となっていないこと。
(c) 第二鉛粉工場のドラム受け局所排気装置の性能が規定どおり保持されていないこと。
(d) 局所排気装置を稼動させる場合に、バッフルを設けて妨害気流を排除する等必要な措置を講じていないこと。
(e) 化成工場の鉛作業に鉛作業主任者を選任していないこと。
(f) 粉状の鉛を入れた容器の蓋が外されていること。
(g) 休憩室の入口に水を流し、又は十分湿らせたマットを置く等の設備を設けていないこと。
(h) 作業衣等の保管設備を設けていないこと。
(i) 作業場ごとに手洗い用溶液、つめブラシ、石けん及びうがい液を備付けていないこと。
(j) 作業場内における喫煙禁止が完全に履行されていないこと。
(k) 航空機用電池工場内電池溶接作業、産業組立工場内の電池溶接作業、自動鋳造工場内の動力丸鋸盤、FC充填工場の充填作業のそれぞれの必要な箇所に局所排気装置が設けられていないこと。
(9) また、横浜市公害センターが、古河電池の工場周辺を調査したところ、古河電池からの排気等によって、鉛の高濃度汚染がみられ、横浜市は、昭和四七年三月八日、古河電池に対して「大気中鉛等の排出量の減少について申し入れ」と題する改善勧告の申し入れをしたが、このことからも、古河電池の職場が、鉛によって相当汚染されていたことが窺える。
右の申し入れの内容は、昭和四六年一一月から一二月にかけて古河電池周辺の大気中及び土壌中の鉛等を測定したところ、古河電池から排出されている鉛等の影響の推測され、大気中鉛濃度の暫定基準案の下限の二倍の濃度に達しているので、排出鉛等の量を半減するよう措置をとることを申し入れる旨のものである。
(10) 古河電池の指定医である慶応義塾大学衛生学教室土屋健三郎教授は、古河電池の中間職制以上の者に対し、次のような内容を含む講義を行なっている。
(イ) 昭和三五年八月九日
環境調査結果(目安は〇・一五ないし〇・二ミリグラム・パー・立方メートル)
極板研磨 一四・五ミリグラム・パー・立方メートル
鉛粉奈良式粉砕機 一三・三ミリグラム・パー・立方メートル
鉛粉奈良式粉砕機の隣 五・八ミリグラム・パー・立方メートル
練糊 五・三ミリグラム・パー・立方メートル
自動充填及び自動鋳造機 〇・二ないし〇・五ミリグラム・パー・立方メートル
小型組立 〇・一九ミリグラム・パー・立方メートル
その他の職場 〇・五ないし二ミリグラム・パー・立方メートル
(ロ) 昭和三六年六月一五日
環境調査結果
鉛汚染の最大 鉛粉工場
鉛汚染の大 極板加工
鉛汚染の中 組立工場
血液比重
男平均一・〇五四 女平均一・〇五三
一般男性集団平均値一・〇五七~一・〇五八
正常 一・〇六
一般女性集団平均値一・〇五四~一・〇五五
正常 一・〇五八
血液中の鉛量
六〇ガンマ以上の者 三〇%(一一四名)
各ランク別人員
A 五名 職場転換
B 九名 かなり進行、職場転換の必要なし
C 五九名 職場治療
D 三一七名
これらの講義内容からも、古河電池の職場が、鉛によって高濃度汚染されていたことが推測できる。
(11) 右のような原告の職場環境の劣悪さを裏づけるものとして、同じ会社に勤務する者のなかから鉛中毒症として労災補償の支給を受けた者がいることがあげられる。
(三) 原告の具体的症状について
原告は、昭和四三年九月ころ、左腕の肘の痛みと腕のだるさを感じ、その後冬場に向かうにしたがい、左腕の肘より手首にかけて痛みとだるさが激しくなり、右腕のだるさも伴うようになった。また、熟睡ができず会社の診療所で睡眠薬の投与を受けていた。
昭和四四年一月中旬ころから、首のだるさ、圧痛感、両肩のこり、両腕の痛みと脱力感、両手の小指と薬指のしびれ、腰痛、両足の膝から爪先にかけての感覚麻痺、知覚異常などの症状を呈した。毎晩両足のすねの部分の激しい痛みによって寝不足の日々が続いた。また、思考力が低下し、根気がなくなり、物忘れがひどくなり、両足の症状が悪化してからは、舗装道路の上を歩いていてもスポンジの上を歩いているようであり、両足のふくらはぎの筋肉が縮んだような感じがあり、膝から下が思うように前に出ず、歩くのに時間がかかり、特に階段をのぼったときはひどい疲れを感じるほどであった。
昭和四四年二月一四日、残業時間中に腕が激しく痛み、作業を続行することができなくなり、翌一五日、会社の診療所で鉛の検査と診断を受けたところ、医師から一種の職業病だと言われた。その後同年同月一八日、済生会神奈川県病院整形外科で診察を受け、頸腕症候群と診断され、以後も通院したが、症状が悪化し通院も苦痛となったので同年三月三一日汐田病院へ転医し、四月四日から五月一六日まで入院加療した。入院加療により、肩こり、両腕のだるさ、激痛などはある程度良くなったが、腰の痛みや両足の症状には変化がなかった。退院後職場復帰すると、また、症状が悪化し、休業加療、出勤などを繰り返してきた。
そこで、大師病院で鍼・灸治療も受けるようになり、最初のときすねに三〇か所灸をすえたが場所によって著しく感じが異なり、足の裏にすえたところ、右足はいくらか暖かさを感じたが、左足は全然感じがなかった。
その後も症状はよくならず、氷川下セツルメント病院で慢性鉛中毒症と診断され、以後治療を受けてきた。
また、昭和四四年一〇月ころ、両眼の痛みが激しくなったので、眼科医の診察を受けたところ、神経性眼性疲労と診断された。
昭和四四年二月一五日、古河電池株式会社古河電池診療所で診察を受けて以来の、各医療機関における原告の自覚症状及び他覚症状は、別表(略)一の(一)ないし(三)の「自覚症状」「他覚症状」欄記載のとおりである。
そして、いくつかの医療機関で治療を受けたが、氷川下セツルメント病院で体内に蓄積した鉛を除去する治療を行ない、鉛に汚染された職場から隔離されることによって、原告の症状は、徐々に軽快していった。この症状の変化は次のとおりである。
(1) 昭和四四年三月(汐田病院の記録)
(イ) 自覚症状 左腕脱力、左環、小指の脱力としびれ、両側肩峰部痛、腰痛、左下肢脱力
(ロ) 他覚症状 左肩甲骨外縁、両肩峰部、第六頸椎に圧痛と筋硬化、両側尺骨神経支配域と両下肢外側に知覚鈍麻
(2) 昭和四五年六月(氷川下セツルメント病院の記録)
(イ) 自覚症状 易労感、睡眠障害、腹部疝痛、腰痛、慢性下痢、常時両下肢のしびれ、倦怠、時々両下肢の電撃痛、左肩、左膝、両肘、両足首の関節痛、足裏の知覚異常(スポンジの上を歩くような)、膝の伸筋力低下、小股歩き
(ロ) 他覚症状 両側指先の脱力(新聞をつまんで持ち上げられない。)、左小指は強い伸筋麻痺のため関節を十分伸展できない。両手肢の著明な振顫、両下肢の不全麻痺(歩行がうまくできない。普通の階段がのぼりにくい。)、両下肢の知覚鈍麻、特に足首から末梢にかけて強い。両下肢のレーノー症状、両下肢の静脈瘤、クモ状血管腫
(ハ) 中枢神経系の障害の程度について 病状の訴えは多彩であった。しかし、強い大脳の機能低下のため、患者は自らの障害の程度を言語では十分反映できず、周囲には「棘立った多愁訴」の印象を与えることができたのみであった。この大脳機能の低下は、当時患者の生活相談を受けた理解ある弁護士が、患者の訴えや思考全般を評してめちゃめちゃだと言っていたことからも伺える。
(3) 昭和四六年四月(氷川下セツルメント病院の記録)
(イ) 自覚症状 背部の圧迫感、下肢の筋肉痛軽度
(ロ) 他覚症状 前記(2)の症状の全般的軽快がみられる。
スポンジの上を歩く感じがなくなる。両足首から先端にかけての強い知覚鈍麻が消失している。夏でも毛の靴下をはいていたが、今はそれがなくなる。レーノー症状の消失、階段ののぼりが楽になる。毎晩あった下肢の疼痛はときたまあるだけになった。腹巻をしなくとも下痢をしなくなった。
(ハ) 中枢神経について 弁護士に話を理解してもらえるようになった。工場の周囲で協力者を自ら発見できるようになった。文章を書くのが苦痛でなくなったなど改善が著しく認められた。
(4) 昭和四七年三月(氷川下セツルメント病院の記録)
職場汚染、作業情況、自己の健康状態の推移、工場側の鉛中毒予防規則違反の告発などの書類を独自に作成できるまでに中枢神経機能は回復した。
(5) 昭和四七年一一月(氷川下セツルメント病院の記録)
(イ) 自覚症状 時々膝関節痛
(ロ) 他覚症状 軽度の知覚鈍麻が両手掌と左下腿外側に残存する。筋麻痺の完全な回復がある。
国会の衆院社会労働委員会での討論資料を自ら作成できるまでに、中枢神経機能は回復した。
以上の症状の変化についてみると、(1)と(2)の間に変化はみられないが、(2)以降排鉛治療を加えることによって症状が著しく改善されたことがわかる。
(四) 以上のとおり、原告は、古河電池で鉛蓄電池製造の作業に就くようになってからしばらくして鉛中毒症の臨床症状として報告されている各症状を長期にわたって呈し続けてき、また、原告は、長期間鉛暴露を受けてきたのであるから、原告の症状は慢性鉛中毒症とみるべきである。このことは、氷川下セツルメント病院で鉛治療を施されたことによって症状が軽減したことによっても裏づけられる。このように、昭和四四年二月以降にみられた症状は、鉛中毒症によるものである。
そうして、原告が従事していた鉛蓄電池製造工程において、手充填、産業組立等の作業は、鉛中毒を発症しうるものであるから、原告の右症状は、業務に起因するものである。
よって、原告は、昭和四四年一二月二五日から昭和四五年二月二三日までの休業補償給付を支給しないとした本件(一)の処分並びに同年六月一五日以降の療養補償給付及び同年六月一五日から同年一二月一八日までの休業補償給付を支給しないとした本件(二)の処分の取消を求める。
3 また、被告審査会のした本件裁決には、次のような違法がある。
(一) 被告審査会は、労働保険審査官及び労働保険審査会法の規定に基づき、昭和四七年八月二三日、横浜市所在の古河電池に立入り調査し、同社の従業員その他の関係者、原告らに質問し、原告の疾病と同会社事業所の作業条件、作業環境との因果関係を確定するための調査を行なったが、その際、右調査の結果についての調書等を作成しなかった。その後、被告審査会の構成が変わり、審査員伊集院兼和が新たに審査に加わった。
しかし、右伊集院は、業務上外認定にとって不可欠として行なわれた右立入調査、質問には立会わず、しかも、調書等がないのであるから、文書上も右結果を確認できないにもかかわらず、審理裁決に加わった。
(二) 被告審査会は、第一回期日において、原告の疾病につき業務上外認定をするに当り、古河電池の作業条件、作業環境を知ることが不可欠と考え、原告の要求により、原処分庁である被告監督署長に対し、右会社に対する監督状況の調査結果及び監督指導ないし臨検監督の結果について、一切の資料を提出するように命令した。
しかるに、被告審査会は、右の資料がほとんど審査手続に提出されておらず、自らも資料の不十分さを認めていながら、一方的に審理不尽のまま審査を打切った。
(三) 本件裁決は、審理をした第一合議体の三人のみならず、審理に加わっていない第二合議体の構成員三人と合同して六人でなされたものである。
本件裁決には、以上のような違法があるから、原告は、被告審査会のした本件裁決の取消を求める。
二 請求原因に対する認否
1 被告監督署長
(一) 請求原因1の各事実は認める。
(二)(1) 同2(一)の主張は争う。
(2) 同2の(二)(1)ないし(7)のうち、原告がその主張の時期に、その主張の期間、その主張の作業に従事していたことは認めるが、その余は知らない。同(8)のうち、被告監督署長が古河電池に対し(イ)ないし(ホ)の改善指導をしたことは認める。
(三) 同2の(三)のうち、原告が昭和四四年二月一五日、古河電池の診療所で診察を受けたこと、原告が同年二月一八日、済生会神奈川県病院で診察を受けた結果「頸腕症候群、多発性関節痛」と診断され、同病院に通院し治療を受けていたこと、原告が同年三月三一日、汐田病院に受診し、同年四月四日から同年五月一六日までの間入院し、その後は通院して治療を受けながら、大師病院においても治療を受けたこと、その後、原告が東京大学病院の診察を受けたこと、原告が昭和四五年六月一五日、氷川下セッルメント病院において「慢性鉛中毒症」であると診断を受けたこと、各医療機関における診療録等に別表一の(一)ないし(三)の「自覚症状」「他覚症状」欄記載の症状の記載があることは認めるが、その余は知らない。
(四) 同2の(四)の主張は争う。
2 被告審査会
(一) 請求原因1の各事実は認める。
(二)(1) 同3の(一)のうち、被告審査会が昭和四七年八月二三日、原告の申立に基づき古河電池に立入検査したこと及びその後被告審査会の構成が変わり、伊集院兼和委員が審査に加わったことは認めるが、その余は否認する。
(2) 同3の(二)のうち、第一回審理期日において、審査長四方陽之助が原処分庁である被告監督署長に対し、古河電池に対する監督状況の調査結果等について提出するよう発言したことは認めるが、その余は否認する。
(3) 同3の(三)は否認する。
三 被告監督署長の主張
1 本件(一)の処分の正当性
(一) 被告監督署長は、請求原因1の(一)記載の原告の請求に対し、頸腕症候群については昭和四四年一二月一九日をもって症状が固定し、治癒と認め、腰痛症については、業務に起因して発症したものとは認められないとして、これを支給しない旨の処分をしたものである。
(二) 被告監督署長が頸腕症候群について、昭和四四年一二月一九日をもって治癒としたことは、次のとおり正当なものであった。
原告の頸腕症候群については当初より他覚的所見に乏しいものであり、その症状も昭和四四年五月一六日汐田病院退院時においてはほぼ消失しており、その後においても原告の愁訴に一進一退があって腰部、下腿等の症状と併せて投薬及び物理療法による加療が続けられたが、昭和四四年一二月以降は汐田病院の主治医の所見としても主として腰部、下腿等についてのものであって、手充填作業に起因して昭和四四年二月に発症した頸腕症候群については、昭和四四年一二月一九日ころにはすでに症状が固定の状態すなわち治癒状態にあったものである。
(三) 被告監督署長が腰痛症について、業務起因性を認めなかったことは次のとおり正当なものである。
(1) 原告の主訴にかかる腰痛は、下腿から足底にかけての知覚異常等の下肢症状を含むものであるが、昭和四二年八月に汐田病院で慢性腸炎にて加療中にほぼ同様の症状の発症を自覚し、ついで昭和四三年二月に神奈川県立成人病センターに受診し、同様な症状を訴えており、腰部及び下肢の症状は、原告が頸腕症候群で加療を開始した昭和四四年二月よりはかなり前から自覚され、その後も長期にわたりこれを訴えている。しかし、原告の主訴する腰痛は、他覚的所見に乏しいものであり、脊椎の変化による腰痛症ではなく、また、腰筋痛のごときものでもない。
また、原告は、産業組立に変わった後の昭和四四年一二月二四日、重さ約八〇キログラムのTRK蓄電池を同僚と一緒にローラーより降す際に腰痛の増悪があったとして汐田病院の安達医師の診断を受け、腰椎捻挫(急性腰痛症)と診断されている。しかし、昭和四四年一二月二五日の前後において症状に著変があったと認めうるほどの他覚的所見の変化はみられず、同年同月二四日は定時終業まで普通に作業を行ない、同僚中村職長も腰痛について何も聞いておらず、翌日も身体に異常がある様子もなかったことから、二四日の作業中に腰部捻挫等の災害的事実があったとは考えられない。
(2) さらに、原告が従事していた職務内容についてみると、手充填作業は、格子状の基板に鉛粉を稀硫酸で練ったペーストを手にヘラを持って塗り込む作業であり、通常椅子に腰掛けて行なわれるものであり、通常作業における姿勢や動作が、腰部、下肢に過度な負担を与えることはない。
原告は、休業期間中の昭和四二年八月に腰部及び下肢症状の発症をみていることからみて、原告の主訴する腰痛症が手充填作業に起因するものとはいえない。
産業組立職場における原告の作業内容は、主として小型電池の極板群の仕上及び電槽入れ等の比較的軽い作業であって、腰部に過度な負担がかかるものではない。
以上のとおり、被告監督署長が、原告の腰痛症について、業務に起因するものではないと判断したことは正当である。
2 本件(二)の処分の正当性
被告監督署長が原告主張の鉛中毒症を業務上のものと認めなかったことは、次のとおり正当なものである。
(一) 原告が長年従事していた手充填作業及び産業組立職場の作業は、いずれも鉛蓄電池製造過程における作業であって、鉛中毒予防規則(昭和四二年三月六日労働省令第二号)の適用される鉛業務である。
労働省は、鉛関係の業務に従事する労働者の鉛中毒についての認定基準(以下「認定基準」という。)を定めているが、昭和四六年七月二八日付通達(基発第五五〇号)をもって右基準をより詳細に改定した(以下「新認定基準」という。)。右新認定基準によると、鉛中毒と認められるには、次の各項の何れかに該当することが必要であるとされている。
(1)(イ) 鉛中毒を疑わしめる末梢神経障害、関節痛、筋肉痛、腹部の疝痛、便秘、腹部不快感、食欲不振、易労感、倦怠感、睡眠障害、焦燥感、蒼白等の症状が二種以上認められること。
(ロ) 尿一リットル中に、コプロポルフィリンが一五〇マイクログラム以上検出されるか、または尿一リットル中にデルタアミノレブリン酸が六ミリグラム以上検出されるものであること。
(ハ) 血液一デシリットル中に、鉛が六〇マイクログラム以上検出されるか、または尿一リットル中に、鉛が一五〇マイクログラム以上検出されるものであること。
(2)(イ) 血色素量が、血液一デシリットルについて常時男子一二・五グラム、女子一一・〇グラム未満であるか、もしくは全血比重が男子一・〇五三、女子一・〇五〇未満であるか、または赤血球数が血液一立方ミリメートル中、常時男子四二〇万個、女子三七〇万個未満であって、これらの貧血徴候の原因が、消化管潰瘍、痔核等の事由によるものでないこと。
なお、常時とは、日を改めて数日以内に二回以上測定した値に大きな差を認めないものをいう。ただし、赤血球については、同時に貧血に関する他の数項目を測定した場合、それらに一定の傾向があったときはこの限りではない。
また、採血は空腹時に行なうものとする。
(ロ) 一週間の前と後の二回にわたり尿一リットル中にコプロポルフィリンが一五〇マイクログラム以上検出されるかまたは、尿一リットル中にデルタアミノレブリン酸が六ミリグラム以上検出されるものであること。
(3) 鉛の作用によることの明らかな伸筋麻痺が認められるものであること。
この認定基準は、次のとおり正当なものである。
認定基準は、労働省労働基準局長の諮問機関である「鉛中毒の認定基準に関する専門家会議」の意見に基づいて作られたものであり、その基準策定に当っては国内外の医学的専門家の見解を取り入れている。
専門家の意見と認定基準に定める数値を比較してみると別表二記載のようになる。
この比較において明らかなごとく、認定基準の定める数値は、鉛の職業的暴露や異常暴露を受けたことのない正常人と職業的暴露や異常暴露の結果、鉛が正常より増加している者との境界の数値(鉛中毒を判断するうえでの最低検査数値)を基準とし、鉛中毒の早期発見、早期治療を期する趣旨を明確にしているのであって、したがって、右基準に適合しないものは鉛中毒として療養が必要なものとは判断しがたいものであるといわなければならない。
(二)(1) 昭和四四年二月一五日以降の原告が受診した病院の診療録、医師の意見書及び鑑定書に基づく原告の自覚、他覚症状(別表一の(一)ないし(四))のなかから、右新認定基準の(1)(イ)の諸症状をもとに鉛中毒症を疑わしめる症状を抽出すると別表一の(一)ないし(四)の「鉛中毒を疑わしめる症状」欄記載のとおりとなる。
(2) しかしながら、右新認定基準(一)の(1)に鉛中毒症を疑わしめる症状として例示された症状は、鉛中毒症に特有な症状ではなく、鉛以外の原因によっても発症しうる症状であり、また、右基準に定める尿中コプロポルフィリン、尿中デルタアミノレブリン酸、血中鉛、尿中鉛、血色素量、全血比重、赤血球数に関する数値は、一般的には、前四者については基準に定める数値をこえる場合に、後三者については基準に定める数値に満たない場合に、鉛中毒症を疑わしめるものとして例示した症状のうちの軽微なものが発現することもあると考えられているもので、これらの数値は鉛中毒の早期発見、早期治療を期する上から採用されているものであるから、右諸検査数値がえられない以上、鉛中毒を疑わしめる症状があるからといって、直ちに鉛中毒であると断定することはできない。
(3) そこで、まず原告についての古河電池の特殊健康診断表を検討してみるに、右表は昭和三二年七月から昭和四五年五月までの間において、昭和三六年を除き毎年一回ないし二回の特殊健康診断が行なわれ、その結果が記載されたものであるが、これによると、原告の全血比重は昭和三七年二月、昭和三八年四月、昭和四一年一一月及び昭和四四年五月において認定基準上の基準値である一・〇五三未満を満たしているが、その他はすべて一・〇五三以上であり、コプロポルフィリンの定性検査では昭和三九年一一月が(±)とされているほかはすべて(-)とされている。また、右表には、自覚症として昭和三七年二月右膝関節痛、昭和三九年一一月足・手指の痛み、麻痺、昭和四〇年一一月左下腹部痛、昭和四二年一一月右膝痛、昭和四三年一〇月左肘痛等の記載があるが、他覚的所見は記載されていない。なお、昭和四二年慢性腸炎の際に投薬により腰部、足部にしびれを感じ、足首のしびれ感が残存したとの訴えが記されているが、昭和四二年一一月の検査で全血比重一・〇五四五、コプロポルフィリン(-)であり、また、昭和四三年五月には血中鉛量二四・八三、コプロポルフィリン定量二六・四、尿中鉛量七八・六八と測定されている。
右のとおり、会社の特殊健康診断表においては、ときに全血比重の低下が認められるが、一時的なものと認められ、その他の検査結果とあわせてみると認定基準上は特に鉛中毒とみるに足るだけの検査結果は存しない。
(4) 原告は、頸腕症候群発症後、昭和四四年四月四日から同年五月一六日まで汐田病院に入院したが、右期間中の諸検査の結果で、鉛中毒については否定の診断を受けている。同病院の診療録によれば、昭和四四年四月五日の検査で、血色素量一五・二グラム・パー・デシリットル、赤血球三八九万個、血液比重一・〇五四、好塩基性斑点(-)、尿中コプロポルフィリン(-)、同年四月一八日の検査で、血色素量一五・〇グラム・パー・デシリットル、赤血球四一二万個等が測定されており、赤血球が減少しているようにみえるが、その後同病院に通院中の同年八月二日の検査では、赤血球は四四二万個と測定されている。また、昭和四五年三月一六日の検査で、尿中鉛定量〇・〇五七ピー・ピー・エム、同年六月九日の検査で、血中鉛〇・〇三ピー・ピー・エム、全血比重一・〇五三、同年七月二日の検査で、血中鉛二一マイクログラム・パー・デシリットル、尿中鉛五四マイクログラム・パー・リットル及び六〇マイクログラム・パー・リットル、同年七月六日の検査で、血中鉛二〇マイクログラム・パー・デシリットルが測定されている。
なお、原告は、昭和四四年一〇月二九日から大師病院にも受診していたが、鉛中毒に関しては問題がないと所見されており、また、同病院の診療録によれば、昭和四四年一〇月三一日の検査で、尿中コプロポルフィリン(-)、同年一一月一〇日の検査で、血中鉛〇・〇三ないし〇・〇五ピー・ピー・エムすなわち三ないし五ガンマ・パー・デシリットル(正常範囲)とされている。
以上、頸腕症候群等の病名で加療した汐田病院及び大師病院における右検査結果では、ときに赤血球数に低い数値がみられることがあるが、尿中コプロポルフィリン、血中鉛、尿中鉛等の検査では認定基準を満たしていない。
(5) 原告は、昭和四五年六月一五日以降氷川下セツルメント病院に受診し、慢性鉛中毒症と診断され、通院加療しており、その間(昭和四五年六月一五日から昭和四七年一月六日まで)各種の検査を受けているのでこれについて検討する。
昭和四五年六月一五日の初診時における検査では、尿中鉛四七・五マイクログラム・パー・リットル、血中鉛三五マイクログラム・パー・デシリットル、ポルフィリン体×2(+)、赤血球四一五万、血色素九三、全血比重一・〇五五、好塩基点赤血球U/1000等の結果が示されているが、尿中鉛及び血中鉛の数値は認定基準上の基準値を満たさず、また、コプロポルフィリンの×2(+)は、右病院の山田信夫医師によれば概ね定量の六〇マイクログラム・パー・リットルないし一二〇マイクログラム・パー・リットルに見合うとのことであるので、認定基準上の基準値を満たさず、赤血球の四一五万という数値はやや低いが、四日後の昭和四五年六月一九日の検査では、四二五万とされていること、その他血色素及び全血比重の数値からみて必ずしも認定基準を満たすとは考えられない。
初診日以後、原告には除鉛薬の内服投与がされ、ついで、静脈注射による誘発検査も行なわれているので、その後の検査結果については、これらの事情を考慮すべきである。
誘発前の数値として示されている尿中鉛の測定値をみると、昭和四五年七月一七日の一四六マイクログラム・パー・リットル、同年一〇月一三日の二〇〇マイクログラム・パー・リットルが認定基準上の基準値に接近し、又はこれを上回るが、その他頻回の検査値はいずれも右基準値をかなり下回っている。しかも、基準値に接近し、又はこれを上回る右二回の数値は、山田医師の診断書(昭和四五年八月四日付)、氷川下セツルメント病院の診療録からみると、いずれも除鉛薬服用の影響が考えられる期間中のものである。
誘発後の数値として示されている尿中鉛の測定値をみると、昭和四五年六月一九日から同年七月一〇日までは内服誘発(除鉛薬の内服による誘発をいう。)、同年七月一七日以降は静注誘発(除鉛薬の静脈注射による誘発をいう。)をしたが、マイクログラム・パー・リットル値として概ね一〇〇台から三〇〇台の数値を示しており、四〇〇台以上の数値も若干あり、最大数値としては昭和四五年九月九日に一〇七五マイクログラム・パー・リットルと測定されているものの、一方、同年一一月一三日には九三マイクログラム・パー・リットル、昭和四六年二月五日には九〇マイクログラム・パー・リットルという低い数値もみられる。
昭和四五年九月九日の一〇七五マイクログラム・パー・リットルという数値は、同月三日の誘発値四二五マイクログラム・パー・リットル、同月一八日の三五〇マイクログラム・パー・リットルに比し極めて高値であり、原告の常態を示すものではない。
ところで、認定基準では誘発法による場合は、注射開始から二四時間の全尿について測定するものとし、この全尿中に五〇〇マイクログラム以上の鉛が検出されることを基準としている。
氷川下セツルメント病院における検査では、静注時点から二時間後の尿をとって、尿中鉛を測定し、その濃度として示しているが、昭和四五年一〇月三一日以降は、排泄尿量も測定されているので、静注二時間後の排出鉛量を推計することができる。そして、山田医師によれば、静注後における鉛の排出は二時間後までにピークがあり、その後は急速に排出量が減少するので、静注開始後二四時間に排出される鉛の量は、最初の二時間に排出される鉛量の約二・五倍であるとしている。なお、山田医師は、除鉛薬CaEDTA剤―gを静脈注射して誘発を行なっている。したがって、静注後二四時間中の排出鉛量は、静注二時間後の推計鉛量を二・五倍することによって推計することができる。
右方法によって、昭和四五年一〇月三一日以降の測定値をみると、昭和四六年六月八日の数値を除いては、認定基準上の基準値をはるかに下回る(静注二時間後の鉛の排出量は多い場合でも五〇マイクログラム前後と推計される。)。なお、昭和四六年六月八日の検査では、誘発二時間後の尿中鉛は六六五マイクログラム・パー・リットルで、そのときの尿の排泄量は三四〇シー・シーとされているので、鉛量は二二六・一マイクログラムと推計され、二時間値としては高い数値であると考えられるが、これのみが前後の推計値とは著しくかけ離れているので、認定基準上は考慮に値しない。
また、山田医師は、原告の場合は濃度でみても一年半の経過を通じて正常人には考えられない三〇〇マイクログラム・パー・リットルをこえる数値がみられると指摘している。しかし、尿量は主として水分の摂取量等と関連し、誘発の静注とは直接の関係はないから、静注二時間後の尿中鉛の濃度は、排泄尿量によって著しく影響されるので、右検査結果中に高濃度を示す数値があるとしても、鉛中毒認定の数値としては意味があるとはいえない。
血中鉛の検査結果をみるに、山田医師作成の検査結果表によれば、頻回の測定値中、認定基準を上回るのは、昭和四五年七月二四日の誘発前血中鉛の数値が六四マイクログラム・パー・デシリットルとされているもののみである。しかも、山田医師の昭和四五年八月四日付診断書には、「七月二四日血中鉛五〇ガンマ・パー・デシリットル→四〇ガンマ・パー・デシリットル」と記載されており、同一時の測定に五〇マイクログラム・パー・デシリットル(四〇マイクログラム・パー・デシリットル)と六四マイクログラム・パー・デシリットルとの二つの異なった数値があることも不思議であるが、右六四マイクログラム・パー・デシリットルを認めるべき原資料はカルテ等に発見することができない。更に、氷川下セツルメント病院での初診以来、血中鉛はある幅の中で緩慢な低下傾向を示していたのに、突如出現した高値については、再検査するのが生体検査の鉄則であろうのに、これをしていない。また、原告は、昭和四五年七月二四日の前日まで除鉛薬サンクレプトンを服用しており、経口投与はその効果は緩慢でかつ持続時間が長いことから、右七月二四日の六四マイクログラム・パー・デシリットルの数値は非誘発の数値とはいえない。以上によれば、右六四マイクログラム・パー・デシリットル血中鉛の一般的傾向を示す数値として評価することはできない。
コプロポルフィリンの検査結果についてみると、昭和四五年八月一一日は×2(+)、同年九月二五日は×4(+)、同年一〇月九日は(-)であるが、同年一一月一九日には×16(+)となっており、その後×2(+)、(-)を経て、昭和四六年三月一八日は×8(+)、同年四月七日及び四月二一日には×16(+)となり、その後再び×2(+)がみられる等必ずしも一定の傾向を示していない。コプロポルフィリンの定性検査は、前記のとおり会社の特殊健康診断でもその都度なされているが、異常を認められたことはなく、また、氷川下セツルメント病院受診後における右検査結果でも初期のころには異常はなかったので、受診後、また休業後相当期間経過してからの×16(+)等の検査結果は、それのみでは必ずしも重視できない。また、定性検査のみで定量検査をしていないのは、検査方法としては不充分である。
赤血球数は初診時において四一五万個であり、認定基準上の基準値を下回っており、その後の検査でもときどき基準値を下回る数値がみられる。一方、全血比重は、基準値を下回ったのが、昭和四五年一〇月九日及び同月二三日の一・〇五一のみであって、その他はすべて基準値を上回っており、しかも一・〇五一を示す右二回の場合における赤血球数は基準値を上回っている。また、原告は、古河電池入社時の全血比重が一・〇五五五であり、成人男子の正常値一・〇五五~一・〇六二の下限にあり、低比重の体質でもあったといえるから、比重低下をもって貧血とすることはできない。また、比重低下時の尿中コプロポルフィリンは常に(-)であったことからみれば、右低下は鉛の作用によるものとみることもできない。赤血球数の低下は、汐田病院受診時における検査でもときにみられたが、必ずしも一定の傾向を示しておらず、原告が氷川下セツルメント病院受診直前に東大病院物療内科に受診したときの昭和四五年六月一二日の検査結果によれば、赤血球数四三九万個、血色素量一四・一グラム・パー・デシリットルであり、これらの経過を総合すると、原告に常態として貧血徴候があったとはいえない。ちなみに、原告は、原告の受診した医師により、貧血症の診断を受けたこともない。
(6) 原告は、昭和四五年七月七日、古河電池の指定医である慶応義塾大学医学部の土屋健三郎医師に受診し、鉛中毒症を否定されたが、その際の検査結果は、△ALA二・六ミリグラム・パー・デー、血中鉛三二・五及び四三・二マイクログラム・パー・デシリットル、尿中鉛一一八マイクログラム・パー・リットル、コプロ一二一マイクログラム・パー・リットル、好塩基点赤血球〇・五‰である。
(7) 原告は、昭和四六年一月二一日から関東労災病院で鑑定受診しているが、同病院の鈴木勝己医師は、整形外科の立場から、単なる神経症状を残していると思われると所見し、また、同病院の余村吉一医師は、神経内科の立場から、当時の自他覚症候が鉛中毒の症候であるとは考えにくい、スモンの疑いも極めて強いと所見している。さらに、同病院の深道義尚医師は、眼科の立場から、眼科的には異常所見に乏しく、薬物中毒が存在するとは考えがたいと所見している。
そして、同病院における検査の結果は、血色素一四・九グラム・パー・デシリットル、赤血球数四八〇万個、赤血球の多染性、塩基性斑点などなし、全血比重一・〇五六、コプロポルフィリン陰性等である。
(8) 以上の各検査結果はいずれも新認定基準の定める要件に該当しない。
(三) また、原告の症状は、前記新認定基準に改定される前の認定基準(昭和三九年九月八日付通達(基発第一〇四九号)に基づく。以下「旧認定基準」という。)にも合致しない。
(1) 右旧認定基準は、次の各項の一に該当する場合には鉛中毒に該当するものとしている。
(イ) 次の各号((a)、(b)、(c))のうち、(a)及び(b)又は(a)及び(c)のいずれかに該当するものであること。
(a) 血色素量が血液一デシリットルについて常時男子一二・五グラム、女子一一・〇グラム未満であるか、もしくは全血比重が男子一・〇五三、女子一・〇五〇未満であるか、又は赤血球数が血液一立方ミリメートル中常時男子四二〇万個、女子三七〇万個未満であってこれらの貧血徴候の原因が鈎虫症もしくは出血(たとえば消化管潰瘍、痔核等による。)その他の事由によるものではないこと。
(b) 好塩基斑点赤血球が常時赤血球一〇〇〇個について三個以上認められるものであること。
(c) 一週間にわたり尿中に明らかにコプロポルフィリンが増加しているものであること。
(ロ) 鉛の作用によることの明らかな伸筋麻痺が認められるものであること。
(ハ) 鉛蒼白、鉛縁、手肢の振せん、握力の減退、関節痛、腹部の疝痛、常習性便秘等の鉛中毒を疑わしめる症状が数種あらわれ、血液一デシリットル中に鉛が六〇マイクログラム又は尿一リットル中に鉛が一五〇マイクログラム以上検出されるものであること。
なお、前記(イ)にいう、「常時」とは、日を改めて数日以内に二回以上測定した値に大きな差を認めないものをいう。
ただし、赤血球については、同時に貧血に関する他の数項目を測定した場合それらに一定の傾向があったときはこの限りでない。
なお、採血は空腹時に行なうものとする。
また、(イ)の(c)における「一週間にわたりコプロポルフィリンが増加しているもの」とは、一週間の前後並びに少なくともその中間に一回検査を行ない、いずれもこれが増加している場合をいう。
右認定基準の定める数値も、前記2の(一)におけると同様正当なものである。
(2) 旧認定基準(イ)については、(a)は新認定基準と同じであり、前記のとおり原告の数値は新認定基準においても否定されているので、旧認定基準に該当しない。
(3) 同(イ)の(b)については、昭和四五年六月一五日の氷川下セツルメント病院における初診時の検査では〇‰、同年七月七日の慶応義塾大学医学部における検査では〇・五‰、関東労災病院余村吉一医師による検査成績では塩基性斑点なし、昭和四四年四月五日の汐田病院での検査結果は好塩基性斑点(-)といずれも認定基準に該当していない。
(4) 同(イ)の(c)については、前記のとおり尿中コプロポルフィリンの検査数値は必ずしも一定の傾向を示していないので認定基準に該当しない。
(5) 同(ロ)については、認定基準にいう「鉛の作用によることの明らかな伸筋麻痺」とは、いわゆるリスト・ドロップ又はフット・ドロップなどのような歴然たる伸筋麻痺をいい、このような伸筋麻痺があらわれる場合、諸検査を行なえば当然鉛中毒と認められるような数値も検出される。
昭和四六年一〇月一八日付氷川下セツルメント病院山田医師の意見書中に、原告の左小指に強い伸筋麻痺がある旨の記載があるが、旧認定基準にいう伸筋麻痺は右のようなものであるから、原告の右症状はこれには該当しない。
(6) 同(ハ)については、血中鉛量、尿中鉛量の基準値は新認定基準と同じであり、原告の数値は、新認定基準に該当しないのであるから、旧認定基準にも該当しない。
(7) 以上のように、旧認定基準の各項いずれにも該当しないものである。
(四) 以上のとおり、原告についての各検査結果は、新旧認定基準に定める要件に該当せず、原告の呈する症状は鉛中毒症ではない。
3 スモンの疑い
ところで、原告は、昭和四二年二月二〇日から同年一一月一〇日まで汐田病院で加療しているが(当初の病名は十二指腸潰瘍、胃潰瘍であるが、七月三一日には慢性胃腸炎、八月二二日には下痢痛の病名がみられる。)、同年七月一八日の下痢から八月一八日までの間の投薬中にエンテロ・ビオフォルム剤と推定される薬剤が投与され、一〇月一六日、同年二三日及び初診時の二月二〇日にも同剤が投与されている。
そして、右汐田病院で受診していた際に、同年七月一八日から下痢があり、七月三一日に少しの刺激で下痢をするとの訴えがあり、八月五日約三キロメートルの歩行にて腰痛が始ったとあり、八月一八日両足裏にしびれ感、八月二二日下痢二~三回、腰、下肢のしびれ感ありとされ、その後も足の裏を主とするしびれ感が持続している。
原告は、昭和四三年二月二日と同月八日に神奈川県立成人病センターにおいて受診し、内科において神経炎と診断されている。原告は、その受診に際して、昭和四二年六月腸炎になり薬を飲んだところ、腰より下にしびれ感があって、その後、下駄のぬげたのがわからないときがあり、歩行はスポンジの上を歩くような気がし膝ががくがくすると訴えている。そして、下腿の下部に感覚の鈍麻と痛覚減退が所見され、医師により、スモンも疑われているが、眼科所見では神経症状はないとされている。
原告は、その後も腰痛、下肢のしびれ、痛み、下肢の知覚異常等を訴えており、キノホルムを含有するエンテロ・ビオフォルムを服用している事実に照らし、原告の呈する症状は、スモンである疑いもある。
以上のように、原告の症状は鉛中毒症ではなく、業務上の疾病ではないのであるから、本件(二)の処分は正当である。
四 被告監督署長の主張に対する原告の認否
1(一) 被告監督署長の主張1の(一)の事実は認める。
(二) 同1の(二)、(三)の主張は争う。
2(一) 同2の(一)の主張は争う。
(二) 同2の(二)の(1)の事実は認めるが、その余は争う。
(三) 同2の(三)の主張は争う。
(四) 同2の(四)の主張は争う。
3 同3の主張は争う。
4 原告の認定基準批判
(一) 認定基準の非科学性
(1) 認定基準で定められている血色素量、好塩基斑点赤血球、尿中コプロポルフィリン、デルタアミノレブリン酸は、いずれも鉛による貧血症状を呈しているかどうかの検査方法であるが、鉛中毒症は全身症状として現われるものであるから、その症状の一部である貧血症状を示す前記認定基準に定める要件に該当しないからといって、鉛中毒症が否定されるというものではない。
(2) 認定基準の定める血液一デシリットル中に鉛が六〇マイクログラム以上、尿一リットル中に鉛が一五〇マイクログラム以上という高値は、鉛中毒症を判断する際の一つのめやすであって、右基準の定める数値を示さなくとも、鉛中毒症として症状を呈することは、臨床例でいくらでも明らかにされている。
(3) 更に、認定基準は、症状のほか検査データの同時出現を要件としており、しかも症状も特定の病像のみを基準に採用しているのであり、鉛中毒症に特異な症状はないという性質に反するものである。
(二) 認定基準の数値の非合理性
ソビエトでは正常値の限界を血中鉛は二〇から四〇マイクログラム・パー・デシリットル、尿中鉛は四〇マイクログラム・パー・リットルとし、いずれも右認定基準に定める数値より低い。しかも、日本では、ソビエトにおけるよりも作業条件及び作業環境は劣るのであるから、ソビエトより高い数値に合理性はない。
鉛中毒の診断、認定は職場環境を中心としてなされるべきであって、数値は一つの判断資料にすぎない。
五 被告審査会の主張
1 被告審査会は、昭和四七年八月二三日、請求原因3の(一)記載の調査をしたが、これは、原告の主張する症状と職場の作業条件、作業環境との因果関係を直接確認するためのものではなく、原告の再審査請求事案を審理するうえにおいて、原告の従事していた職場環境、作業内容等についての一般的理解を得るために、労働保険審査官及び労働保険審査会法に基づく立入調査の形をとり、これを行なうことを決定して、調査を行なったものである。
なお、右調査目的から、立入調査書には、立入調査の日時、場所、立会人の氏名、立入工場名等を記載したに止まっている。
その後、山口武雄委員の後任委員として伊集院兼和が任命されたが、同委員は鉛電池工場の作業内容等については一般的知識を十分もっており、合議体としては改めて再調査の必要はないものと決定し、その後の審理、合議決定をしたものであって、この点について何らの瑕疵もない。
2 被告審査会の審査長四方陽之助は、昭和四七年一月二〇日の第一回審理期日に、被告監督署長側に対し、古河電池に対する昭和四六年七月、九月、一〇月の監督結果、原告の同年一〇月二五日付の申告に基づく監督結果並びに昭和四六年七月以前の監督結果等について資料を提出するよう発言したが、これは任意に提出するよう促したにすぎない。
これに対して被告監督署長から、請求原因2の(二)(8)の(ハ)、(ニ)、(ホ)の監督結果の報告があり、昭和四六年七月三〇日の監督は安全関係に関するもので鉛中毒関係の違反事項はない旨の報告がなされた。
被告審査会は、原告の従事していた当時の職場の作業条件、作業環境等についての原告の陳述、原告の提出した資料及び監督庁である労働基準監督署の監督状況の調査結果並びに会社側参考人の陳述等を総合して判断するために審理を重ねたものであって、資料の提出が不十分なまま会社側参考人の意見のみによって本件裁決をしたのではない。
また、本件再審査請求の審理の終結は、原告の最終陳述を聴取し、参与の意見も聴取したうえで行なわれたものであって、一方的に審理を打切ったことはない。
六 被告審査会の主張に対する原告の認否
1 被告審査会の主張1のうち、原告の主張する症状と職場の作業条件、作業環境との因果関係を直接確認するためにではなく、原告の従事していた職場環境、作業内容等についての一般的理解を得るために立入調査をしたとの点は否認する。
2 同2のうち、審査長四方の被告監督署長側に対する提出要求が、任意の提出を促したにすぎないとの点は否認する。
第三証拠(略)
理由
一 被告らの処分の存在
請求原因1の各事実は当事者間に争いがない。
二 被告監督署長の処分の違法性
1 被告監督署長のなした本件各処分の適否は、原告の昭和四四年一二月二五日から昭和四五年二月二三日まで及び同年六月一五日以降の疾病が業務上の事由によるものであるか否かにかかる。
2 労働者災害補償保険法(昭和四八年法律第八五号による改正前のもの)一二条ないし一四条は、労働基準法七五条、七六条所定の災害補償事由が生じた場合に、補償を受けるべき労働者に対しその請求に基づいて療養補償給付あるいは休業補償給付を行なうものとし、労働基準法七五条、七六条は、「労働者が業務上……疾病にかかった場合」あるいは、「その療養のため、労働することができないために賃金を受けない場合」を災害補償事由と定めている。右規定にいう「業務上」とは業務に起因することすなわち業務と疾病との間に相当因果関係があることを意味するものと解されるが、労働基準法施行規則三五条(昭和五三年労働省令第一一号による改正前のもの)は、前記労働基準法七五条の委任を受けて、一定の職業性疾病を列挙しており、当該疾病を発生させるに足りる有害な業務に従事する労働者が当該疾病にかかった場合には、特段の反証がない限り、業務に起因する疾病として取り扱うこととしている。そして、右労働基準法施行規則三五条一四号には、「鉛、その合金又は化合物による中毒及びその続発症」があげられている。
そして、後記4で説示するとおり原告が長年従事してきた手充填作業及び産業組立職場の作業は、鉛中毒予防規則(昭和四二年三月六日労働省令第二号)の適用されるいわゆる鉛業務であるが、成立に争いのない(証拠略)によれば、右鉛中毒予防規則が一定の業務に従事する者の鉛中毒症罹患を防止するために制定されたものであること及び鉛蓄電池製造業は、職業病としての鉛中毒症の発生率が高いことが認められ、これによれば、原告が長年従事してきた前記手充填作業及び産業組立作業は、鉛中毒症の発症しうる作業であると考えられる。
3 労働者が職業性疾病にかかっているかどうかの判断は、医学的な判断を必要とするところ、業務上の負傷の場合と異り、その判断は、必ずしも容易ではない場合が少なくない。
成立に争いのない(証拠略)によれば、一般に、慢性鉛中毒症は、呼吸器及び消化器を通じて長期間にわたり鉛が体内に吸収蓄積され、徐々に発病し、次のような多様な症状を呈するに至るものであり、その症状の多くは鉛中毒症特有のものではなく、他の疾病によっても起こりうるものであって、その症状のみによって鉛中毒の診断をすることは困難であることが認められる。
慢性鉛中毒症にみられる症状
(一) 消化器系の症状
食欲不振、嘔吐、鉛縁(歯と歯肉との間の着色線)、口腔炎、金属味、鉛疝痛、便秘、潰瘍、腸閉塞等
(二) 中枢神経系の症状
頭痛、不眠、倦怠感、鉛脳症(中毒性精神障害、昏曚、昏睡、けいれん、失語症、脳神経麻痺)、脳膜炎、譫妄、視野狭窄、視神経炎等
(三) 末梢神経系の症状
筋痛、関節痛、異常知覚、一過性不全麻痺(リスト・ドロップ)、筋脱力、筋萎縮、知覚麻痺、握力の減退、振顫等
(四) 貧血
(五) その他
顔面蒼白(鉛顔貌)、皮ふの蒼白等
成立に争いのない(証拠略)によれば、右のように鉛中毒症の判断が困難であるところから、労働省においては、行政上、鉛中毒症の認定につき、迅速、適正かつ容易に判断を行ない認定の斉一性を確保することができるよう労働基準局長の諮問機関として設置された鉛中毒に関する専門家の医学的な専門的意見に基づいて、鉛中毒の具体的な判断基準として、昭和三九年九月八日付基発第一〇四九号「鉛中毒の業務上外認定について」なる通達(以下「旧認定基準」という。)及び昭和四六年七月二八日付基発第五五〇号「労働基準法施行規則第三五条第一四号に掲げる「鉛、その合金または化合物(四アルキル鉛を除く)による中毒」の認定基準」なる通達(以下「新認定基準」という。)を作成して発しているところ、各労働基準監督署長による鉛中毒に関する業務上外の認定は、右認定基準に則って行なわれていることが認められる。
右のような新旧認定基準の性格から考えると、少なくとも新旧認定基準に定める要件を満たす場合には、鉛中毒症と判断しても誤まりでないという合理性をもつ基準であると考えてさしつかえないといえる。
(一) 新認定基準の内容は、次のとおりである。
鉛を取り扱い、あるいはそれらの粉塵にさらされる業務に従事しているか、またはその業務に従事していた労働者が、次の各項の何れかに該当する場合には労働基準法施行規則三五条一四号に該当するものとして取り扱うこと。
(1) 次の各号に該当するものであること。ただし(ロ)または(ハ)の何れかが基準値に満たない場合には当分の間本省にりん伺すること。
(イ) 鉛中毒を疑わしめる末梢神経障害、関節痛、筋肉痛、腹部の疝痛、便秘、腹部不快感、易労感、倦怠感、睡眠障害、焦燥感、蒼白等の症状が二種以上認められること。
(ロ) 尿一リットル中に、コプロポルフィリンが一五〇マイクログラム以上検出されるか、または尿一リットル中に、デルタアミノレブリン酸が六ミリグラム以上検出されるものであること。
(ハ) 血液一デシリットル中に、鉛が六〇マイクログラム以上検出されるか、または尿一リットル中に、鉛が一五〇マイクログラム以上検出されるものであること。
(2) 次の各号に該当するものであること。
(イ) 血色素量が、血液一デシリットルについて常時男子一二・五グラム、女子一一・〇グラム未満であるか、もしくは全血比重が男子一・〇五三、女子一・〇五〇未満であるか、または赤血球が血液一立方ミリメートル中、常時男子四二〇万個、女子三七〇万個未満であって、これらの貧血徴候の原因が、消化管潰瘍、痔核等の事由によるものでないこと。
なお、常時とは、日を改めて数日以内に二回以上測定した値に大きな差を認めないものをいう。ただし、赤血球については、同時に貧血に関する数項目を測定した場合、それらに一定の傾向があったときはこの限りでない。
また、採血は空腹時に行なうものとする。
(ロ) 一週間の前と後の二回にわたり尿一リットル中にコプロポルフィリンが一五〇マイクログラム以上検出されるか、または尿一リットル中にデルタアミノレブリン酸が六ミリグラム以上検出されるものであること。
(3) 鉛の作用によることの明らかな伸筋麻痺が認められるものであること。
CaNa2 EDTA等キレート剤を使用した後の尿中鉛量の測定の結果、CaNa2 EDTAを注射開始から二四時間の全尿について、五〇〇マイクログラム以上の鉛が検出され、かつ、次に該当する場合には、労働基準法施行規則三五条一四号に該当するものとして取り扱うこと。
現在は、鉛業務に従事していないが、過去に鉛業務に従事し、鉛暴露をうけたことのある労働者が、鉛中毒を強く疑わしめる症状を呈しているに拘らず、尿中コプロポルフィリン、尿中デルタアミノレブリン酸、血中鉛、尿中鉛の検査ではさしたる所見は認められない場合であって、鉛の作用を疑わしめる末梢神経障害、腹部の疝痛等の症状が認められるか、または血液検査の結果貧血が認められるものであること。
(二) また、旧認定基準の内容は、次のとおりである。
(1) 次の各号((イ)、(ロ)、(ハ))のうち、(イ)及び(ロ)、又は(イ)及び(ハ)の何れかに該当するものであること。
(イ) 血色素量が血液一デシリットルについて常時男子一二・五グラム、女子一一・〇グラム未満であるか、もしくは全血比重が男子一・〇五三、女子一・〇五〇未満であるか、又は赤血球数が血液一立方ミリメートル中常時男子四二〇万個、女子三七〇万個未満であってこれらの貧血徴候の原因が鈎虫症もしくは出血(たとえば消化管潰瘍、痔核等による)その他の事由によるものではないこと。
(ロ) 好塩基斑点赤血球が常時赤血球一〇〇〇個について三個以上認められるものであること。
(ハ) 一週間にわたり尿中に明らかにコプロポルフィリンが増加しているものであること。
(2) 鉛の作用によることの明らかな伸筋麻痺が認められるものであること。
(3) 鉛蒼白、鉛縁、手肢の振せん、握力の減退、関節痛、腹部の疝痛、常習性便秘等の鉛中毒を疑わしめる症状が数種あらわれ、血液一デシリットル中に鉛が六〇マイクログラム又は尿一リットル中に鉛が一五〇マイクログラム以上検出されるものであること。
なお、前記(1)にいう「常時」とは、日を改めて数日以内に二回以上測定した値に大きな差を認めないものをいう。ただし、赤血球については、同時に貧血に関する他の数項目を測定した場合それらに一定の傾向があったときはこの限りでない。
なお、採血は空腹時に行なうものとする。
また、(1)の(ハ)における「一週間にわたりコプロポルフィリンが増加しているもの」とは、一週間の前後並びに少なくともその中間に一回検査を行ない、何れもこれが増加している場合をいう。
しかして、(証拠略)によれば、新旧認定基準の定める各数値は、比較的低いかのごとくであるが、他方(証拠略)によれば、右数値に達しない場合にも鉛中毒症でありうることが認められ、(証拠略)によるも、右新旧認定基準に定める数値に達しない場合でも、個々の症例ごとに検討したうえで、業務上の認定をすることができる場合があることが認められる。
現に、成立に争いのない(証拠略)によれば、東京労働者災害補償保険審査官は昭和四八年二月二六日千葉幸三郎につき血色素量一三・〇五グラム・パー・デシリットル、全血比重一・〇五八、赤血球数四四八万個、好塩基斑点一〇〇〇個につき一個でいずれも認定基準(旧)に達していないにかかわらず、氷川下セツルメント病院で、ただ一回血中鉛が六〇マイクログラム・パー・デシリットル(除鉛剤の影響があると認められる。)を測定したことがあるのみで鉛中毒症と認定しており、同(証拠略)によれば、同審査官は昭和四九年八月三〇日沖田昭紀につき血色素量一三・八グラム・パー・デシリットル、全血比重最低一・〇四九、最高一・〇六一、赤血球数最低四二六万個、最高四九〇万個、尿中コプロポルフィリンについては右氷川下セツルメント病院で一回だけ検査が行なわれたに過ぎず、認定基準の定める一週間の前後にわたって測定がなされたのではなく、認定基準に定める要件を充足していないにかかわらず、鉛中毒症と認定しており(なお、血中鉛は五六マイクログラム・パー・デシリットル、尿中鉛は四二マイクログラム・パー・リットルで認定基準値に達していない。)、同(証拠略)によれば、同審査官は昭和四九年九月六日箱守勇につき血色素一二・八ないし一六・〇グラム・パー・デシリットル、全血比重一・〇五八ないし一・〇六二、赤血球数四二二万個ないし四八九万個、好塩基斑点赤血球一〇〇〇個につき〇・五ないし一・五、尿中コプロポルフィリンは氷川下セツルメント病院では定性法であって右認定基準の定める検査方法ではないところから、その検査数値は得られておらず、血中鉛最高四八マイクログラム・パー・デシリットル、尿中鉛最高六〇マイクログラム・パー・リットルで認定基準(旧)をはるかに下回っており、誘発後二時間の尿中鉛も五〇〇マイクログラム・パー・リットル以下で基準に達していないのに、これを測定技術の精度上の誤差の範囲の問題として鉛中毒症と認定しており、さらに、同(証拠略)によれば、労働保険審査会は昭和五一年八月三一日、桜井惟義につき血中鉛五七マイクログラム・パー・デシリットル、尿中鉛一〇二マイクログラム・パー・リットルないし一四〇マイクログラム・パー・リットルでいずれも認定基準に達せず、尿中コプロポルフィリンは前同様氷川下セツルメント病院での検査で定性法でしかなされておらないため認定基準で定める検査数値は得られておらず、誘発後の尿中鉛も二五四マイクログラム・パー・リットルに過ぎないのに鉛中毒症と認定しており、同(証拠略)によれば、同審査会は昭和五一年八月三一日、倉沢正行につき検査成績では認定基準の要件に該当するものはないとしながら、尿中鉛誘発後二時間値が三五八ないし四一〇マイクログラム・パー・リットル、血中鉛五三マイクログラム・パー・デシリットルに過ぎないのに鉛中毒症と認定しており、同(証拠略)によれば、同審査会は昭和五一年八月三一日、鈴木章夫につき右と同様検査成績では認定基準に該当するものはないとし、尿中鉛誘発後二時間値三五八ないし四一〇マイクログラム・パー・リットル、血中鉛五三マイクログラム・パー・デシリットル、尿中コプロポルフィリンは氷川下セツルメント病院の検査で定性法によるものであるため、定量法と同視できないとしながら、増加していたことが否定できないとして、これを鉛中毒症と認定していることが認められ、以上によれば、行政実務上、新旧認定基準の定める検査数値については、必ずしも、これに拘泥せず、右数値を満たさない者についても、鉛中毒症であるとして業務起因性ありとの判断をしていることが認められる。
4 請求原因2(二)(1)ないし(7)の事実、すなわち原告が昭和二四年一一月一日古河電池に入社し、以来昭和四五年六月一四日まで鉛蓄電池製造工程における諸種の作業等に従事していたことは当事者間に争いがない。
そこで、原告が働いていた職場の環境について検討し、原告が鉛に暴露されたか否かを考えてみることとする。
(一) 原告の鉛暴露の程度を推測するものとして、職場の気中鉛の濃度が考えられる。
(証拠略)によれば、気中鉛の許容濃度は〇・一五ミリグラム・パー・立方メートルであり(なお、<証拠略>によれば、これより低い数値を許容濃度とする者もあることが認められる)、これは成人労働者が一日八時間その環境内で中等度の筋肉労働を続けても健康障害をおこさないという医学的事実に基づいて定められたものであることが認められ、したがって、この〇・一五ミリグラム・パー・立方メートルをこえる濃度の下で労働を続けると、健康障害をおこすおそれがあることとなる。
成立に争いのない(証拠略)は、昭和三九年以降の古河電池の各職場について気中鉛濃度を測定した結果の測定値であるが、これによれば、原告が働いたことのある産業組立職場(前示事実によれば、原告は、昭和三〇年一一月一日より昭和三一年五月三一日まで、昭和四四年三月六日より昭和四五年六月一四日までの二回産業組立に従事した。)の昭和三九年一一月より昭和四五年一一月までの気中鉛濃度は、〇・〇三九ミリグラム・パー・立方メートルから〇・三八ミリグラム・パー・立方メートルであり、昭和四四年五月は〇・二三五、昭和四五年五月は〇・一一、同年一一月は〇・二一ミリグラム・パー・立方メートルであったこと、昭和三九年一一月から昭和四五年一一月までの間に〇・一五ミリグラム・パー・立方メートルをこえる数値が八回測定されていることが認められる。
(二) また、被告監督署長が古河電池に対し、昭和四三年九月二五日以降職場の改善指導をなしたことについては当事者間に争いがなく、これによれば、原告の右職場を含め、局所排気装置がないなどの不備があったことが認められる。
(三) 成立に争いのない(証拠略)によれば、横浜市公害センターが古河電池の工場周辺を調査したところ、古河電池からの排気等によって大気中の鉛の濃度が横浜市内の他の地域に比べかなり高く、横浜市は昭和四七年三月八日、古河電池に対して「大気中鉛等の排出量の減少について申し入れ」と題する改善勧告の申し入れをしたことが認められる。
(四) 原告本人尋問の結果によれば、原告の職場等で、鉛のペーストが酸化して作業台や作業衣等に付着し、はたいたりしたときに舞い上ったり、乾燥器の蓋をあけたときにヒュームが出て、ほうきで掃くと飛散したりしたことが認められる。
(五) 成立に争いのない(証拠略)の結果によれば、現に原告が就労していた職場等に勤務する者のなかから山田幸雄、芝本晃、西条美恵の三名が、鉛中毒症との認定を受け、労災補償の支給を受けていることが認められる。
(六) 以上の各事実によれば原告が従事していた職場(弁論の全趣旨によれば手充填作業の職場は産業組立職場以上に鉛の気中濃度は高いものと推測される。)の環境は、少なからず鉛の気中濃度が高かったものと推認され、鉛中毒症の発症しうる作業環境であったと考えられる。
5 原告の症状
成立に争いのない(証拠略)によれば、以下の各事実が認められる。
(原告は、本件補償給付の原因となる鉛中毒症の発症の日時を昭和四四年二月ころであると主張するものであると解せられるところ、弁論の全趣旨によれば、原告が頻繁に医療機関に受診を求めるようになったのも右日時ころと認められるので、昭和四四年二月以前とそれ以降とを区別して、原告の症状をみることとする。)
(一) 昭和四四年二月古河電池診療所受診以前
昭和三二年七月三一日の古河電池での特殊健康診断以来の原告の症状及び検査結果については、別表三記載のとおりである。このうち、昭和四二年二月より同年一一月までは、汐田病院で、昭和四三年二月二日、同月八日は、神奈川県立成人病センターで受診した際のものであり、それら以外は、古河電池の特殊健康診断によるものである。
(二) 昭和四四年二月古河電池診療所受診以降
同月一五日以降の原告の症状は、別表四の(一)ないし(三)記載のとおりである。
また、同日以降の鉛中毒症に関する諸検査の結果は、別表五の(一)ないし(四)記載のとおりである。この表中、血中鉛及び尿中鉛の前、後は、それぞれ誘発剤使用前値、誘発剤使用後二時間値である。
なお、(証拠略)中、昭和四五年七月二四日の血中鉛の六四という数値は、前掲甲第五四号証(氷川下セツルメント病院の診療録)の昭和四五年八月四日欄に検査結果として記載されている。一方、(証拠略)中、二一六頁の山田信夫医師作成の昭和四五年八月四日付診断書によれば、昭和四五年七月二四日の血中鉛は五〇ガンマ・パー・デシリットル→四〇ガンマ・パー・デシリットル(静注誘発後二時間)と記載されているが、(証拠略)によれば、次の検査がなされた昭和四五年七月二七日に、血中鉛誘発前五〇マイクログラム・パー・デシリットル、誘発後二時間四〇マイクログラム・パー・デシリットルとの記載がなされており、数値が全く同一であることに徴すれば、前記山田信夫医師作成の診断書の右血中鉛の記載は、次の検査である七月二七日の数値を誤って記載したものと推測され、また、前掲甲第五四号証の昭和四五年七月二四日欄には静注誘発をした旨の記載がないことからも静注誘発後の数値をも記載している前記山田信夫医師作成の診断書の記載は、誤記であることが窺知される。そこで、当裁判所は、昭和四五年七月二四日の血中鉛を六四マイクログラム・パー・デシリットルと認める。
昭和四四年二月以降の原告の症状は前示のとおりであるが、同年五月一六日に汐田病院を退院する直前の同月一三日には両下肢のしびれ感のみで両上肢、下肢の知覚鈍麻はほとんど改善され、右退院時には症状は軽減したとされているが、退院後も肩こり、両腕のしびれ、両下肢倦怠感が依然持続している。
そうして、汐田病院での治療を受けながら、昭和四四年一〇月二九日から大師病院でも治療を受け、昭和四四年一二月中ごろには症状も軽くなり、右大師病院での治療を一旦中止したものの、同年一二月二五日には、また、前同様の症状を訴えて汐田病院に受診し、昭和四五年一月二〇日より大師病院でも治療を再開した。その後、同年三月に至り症状が軽減したため、同年三月一二日には大師病院での治療を中止している。一方、同月五日厚生年金湯河原整形外科病院、同月一四日東大附属病院分院に各受診したが、いずれも頸腕症候群、腰痛につきさしたる所見はみられなかった(なお、原告は厚生年金湯河原整形外科病院では下腿の激痛を訴えている。)。しかし、同年四月以降の汐田病院の診療録には、やはり肩腕痛、左肘痛などの症状が記され、同年五月八日東大附属病院で受診し、脚の痛みとしびれなどの症状がみられ、頸腕症候群としての治療の要ありとされている。そうして、同年六月一五日氷川下セツルメント病院に受診し、鉛中毒症を疑われるようになった。
このように、原告の症状は、治療などによって一時的に軽くなったことはあるものの、また、症状が悪化するという一進一退の経過で、昭和四四年一二月二五日以降も症状は一向によくなってはおらず、氷川下セツルメント病院に受診するようになった前記昭和四五年六月一五日当時も、原告の症状は数多くみられた。そうして、氷川下セツルメント病院で除鉛剤による治療等を受けていくうちに(除鉛薬の治療によるものかどうかは兎も角として。)、症状が軽減していった。
6 前段掲記の各証拠ならびに鑑定人川村正夫の鑑定の結果によれば、右にみた原告の症状についての各医療機関の診断ならびに治療は次のとおりであることが認められる。
(一) 古河電池診療所
特にない。
(二) 汐田病院(昭和四二年二月より同年一一月まで)
十二指腸潰瘍、胃潰瘍、慢性胃腸炎、下肢痛
投薬、なお、胃、十二指腸潰瘍で入院、下肢痛については、特に治療していない。
(三) 神奈川県立成人病センター(昭和四三年二月二日及び八日)
内科、神経炎、眼科、異常ない。なお、内科では、スモンも疑われている。
(四) 古河電池診療所(昭和四四年二月一五日より同年三月一三日まで)
投薬による治療。
(五) 済生会神奈川県病院(昭和四四年二月一八日より同年三月三一日まで)
頸腕症候群、多発性関節痛の診断で、投薬により治療。
(六) 汐田病院(昭和四四年三月三一日より昭和四五年七月二二日まで)
頸腕症候群兼多発性神経炎、腰痛症の病名で、超短波療法、マッサージ、投薬(鎮痛剤、ステロイドホルモン等)により治療。
なお、鉛中毒は否定されたこともあるが、その後鉛の影響も疑われている。
この間、昭和四四年四月四日から同年五月一六日まで入院した(原告の家が遠く下肢倦怠感のため通院困難で、働くことも難しいので入院したものである。)。
なお、同病院の野末医師は、昭和四四年一二月末において、足のしびれと下腿痛、特に腰痛が激しい昭和四五年一月においても腰痛、下腿痛、肩こりを訴えていた、症状は逐次減退しつつあったが、発症時(昭和四四年三月)の作業内容と全然変化がなく過重な作業であること、本人の症状からして作業量に問題があり、加えて精神的(労務(ママ)上外の認定が長びいた)なことにより症状が増悪したものであると認められる、しかし、現在の症状をいつまでも労災で治療を行なうものでもないので、現在整形外科の医師と相談して適当な時期を以って打切る予定であるが、時期はわからない、尚、第六頸椎の変形は、業務上の疾病とは関係なく、また、現症状とは結びつかないと昭和四五年一月二九日に述べている。
(七) 大師病院(昭和四四年一〇月二九日より昭和四五年六月一七日まで)
鉛中毒の疑い(昭和四四年一〇月二九日)、頸腕症候(昭和四四年一〇月二九日、昭和四五年六月一七日)の病名で、赤外線、マッサージ、運動、鍼灸、投薬により治療。ただし、その後鉛中毒については否定されており、鉛中毒に関する治療はしていない。なお、渡部五百友医師の昭和四五年六月一七日付「今泉哲夫氏の症状並に経過について」と題する書面(<証拠略>)によれば、原告の症状について、頸腕症候群、背腰痛、血管運動神経症と診断されている。
そして、右書面には、昭和四四年一二月一九日自覚症状軽減により治療を中止したが、昭和四五年一月中旬症状が悪化し、同年一月二〇日より治療を再開し、同年三月一二日症状軽減、筋力増加により治療を中止した旨の記載がある。
なお、鉛中毒に関しては、昭和四四年一二月一九日に検査の結果(血中鉛三ないし五ガンマ・パー・デシリットル、尿中コプロ(-))に問題がないとされている。
(八) 佐藤眼科医院佐藤はる子医師(昭和四五年六月一一日付診断書)
神経性眼精疲労
(九) 厚生年金湯河原整形外科病院(昭和四五年三月五日)
頸腕症候群、両下肢血管障害の病名で受診したが、立岩邦彦医師によれば、頸腕症候群としては余りにも奇異で、自覚症のみで他覚的所見がなさすぎるし、腰痛は臨床所見が消失しており、両下肢の激痛の原因は不明であるが、或は血管系の異常があるのではないかとされている。
(一〇) 東京大学医学部附属病院分院(昭和四五年三月一四日より同年三月二五日まで)
両上肢疼痛、腰痛症の病名で受診した。
林医師によれば、訴えと他覚的所見があまりにかけはなれすぎており、特に療養の必要は認め難いとされている。
(一一) 東京大学医学部附属病院(昭和四五年五月八日より同年七月一七日まで)
腰痛症の病名で受診。
物療内科吉田利男医師の昭和四五年六月一九日付診断書によれば、病名として頸腕症候群+腰痛症疑いとあり、頸肩腕部障害と腰・下肢症状が別個のものか否かは未だ明確な結論に達していない。頸肩、上肢には自覚的な訴えのほか、それに相当した筋硬結、圧痛や筋電図上の異常所見もみとめられ、現在も頸腕症候群としての治療(マッサージ等の物理療法あるいは鍼灸等の東洋医学的治療)を必要とする旨付記されている。
また、神経内科の滝田杏児医師は、筋電図上では背手掌間筋(Ⅰ)に増幅した長い間隔の神経筋肉単位の混在を示す以外、その他には異常な神経筋肉単位は認めないとし、また、神経学的には下腿の靴下型の知覚低下以外神経・筋疾患を示唆するものは認められないとしている。
石川外科脈管外来の原医師は、四肢の末梢動脈搏動は正常に触知され、指尖容積脈波上も異常なく、現在の主訴は血管性のものではないと思うとしている。
(一二) 氷川下セツルメント病院(昭和四五年六月一五日より)
慢性鉛中毒症の病名で、除鉛剤により治療。
山田信夫医師の昭和四五年七月一七日付診断書によれば、現時点の鉛体内蓄積状況から、昭和四四年二月より発生の四肢筋麻痺の原因は、鉛によるものと考えうるとされている。
(一三) 慶応義塾大学医学部土屋健三郎医師(昭和四五年七月二五日付及び同年一一月三〇日付診断書)
鉛中毒の疑いは認められないとされている。
(一四) 関東労災病院
(1) 整形外科鈴木勝己医師(昭和四六年一月二一日付鑑定書)
整形外科的には、単なる神経症状を残しているのみであるとされた。
(2) 神経内科余村吉一医師(昭和四六年三月四日付身体障害等級認定に関する意見書)
現在の自・他覚症状が鉛中毒の症候であるとは考えにくい。鉛縁、皮膚蒼白、貧血、赤血球の多染性、塩基性斑点、ポルフィリン尿、口内炎、腹部疝痛、蛋白尿、腎機能障害、伸筋麻痺などいずれも見当らず、一方、他の自・他覚症候は相当程度残っているゆえ、もしそれらが鉛中毒に由来するものであるとすれば、右の鉛中毒の諸症状、諸所見の一部でも並存してよいはずであるとする。
(3) 眼科深道義尚医師(昭和四六年三月二二日付鑑定書)
眼科的には異常所見に乏しく、薬物中毒が存在するとは考え難いとする。
(一五) 鑑定人杏林大学医学部川森正夫医師(昭和五二年五月一九日)
作業・環境条件及び勤続期間からみて、慢性鉛中毒を起こす可能性が考えられること、自覚的・他覚的所見は法規上該当するものがあり、検査成績にも基準値を超え、これに接近した数値が少なからず見出されること、これらの症状、検査結果が、他の疾患によるとの積極的証明はなされていないこと及び症状の全経過から、原告の症状は、慢性鉛中毒と考えるのが妥当であるとする。
なお、頸肩腕障害、腰痛を合併するのは、医学上矛盾はないとする。
7 以上によれば、原告の愁訴は多彩であり、症状も多様であるが、右の症状を慢性鉛中毒症であると診断ないし鑑定するものは氷川下セツルメント病院の山田信夫医師と鑑定人川森正夫医師以外にはないところ、右愁訴及び諸症状には、前示鉛中毒症にみられる症状のいくつかが見出され、しかもその症状は継続して現われており(この点については、被告監督署長においても明らかに争わないところである。)、その症状中主要なものは、関節痛、筋肉痛、四肢(特に下肢)の異常知覚、知覚鈍麻などであったことは疑いの余地がないところである。
8 ところで、鉛中毒症については、前示のとおり新旧認定基準が定められているところ、前示5で挙げた検査結果が右新旧認定基準の定める数値を満たしているかどうかについて検討する。
新旧認定基準は、数値に関しては異るところがないので、まず新認定基準について検討し、必要に応じて旧認定基準についても付言する。
(一) 尿中鉛について
(1) 認定基準は尿中鉛量を誘発前一五〇マイクログラム・パー・リットル(以下尿中鉛の単位は同じ)以上検出されることとしているところ、これを超えるものは、昭和四五年七月二三日の一七一及び同年一〇月二三日の二〇〇がある。
右基準値には達しないが、基準値に近いものとして昭和四五年七月七日の一一八及び同月一七日の一四六がある。
もっとも、前掲甲第五四号証によれば、右数値が検出された当時氷川下セツルメント病院では原告に対し除鉛剤が投与せられていたことが認められ、この除鉛剤の影響が考えられるから、右の数値をもって認定基準の定める数値として直ちに採用することはできない。
しかし、成立に争いのない(証拠略)によれば、除鉛剤の経口投与による尿中鉛の増加量は、静注投与に比しわずかであることが認められ、また、除鉛剤の効果がどの程度持続するものかを確認し得る資料もないから、除鉛剤の影響下における数値として全く無視してよいものとはいえない。この点に関する証人山口誠哉の証言は採用し得ない。
このような高い数値が、一度ならず検出されたことは、尿中鉛量が認定基準に達しているとはいえないまでも、鉛の生体への影響を窺わせる資料とはなるというべきである。
(2) 新認定基準によれば、誘発法による場合は、カルシウムEDTAを注射開始から二四時間の全尿について、五〇〇マイクログラム以上の鉛が検出されることを必要としているところ、前掲甲第五号証によれば、氷川下セツルメント病院においては昭和四五年六月一九日から同年七月一〇日までは内服誘発が、同年七月一七日以降は静注誘発がなされたことが認められ、証人山田信夫の証言によれば静注誘発はカルシウムEDTA一グラムを静注し、二時間後の尿中の鉛量を測定したのみであることが認められ、しかも濃度で表示し尿量の測定がなされていないから、氷川下セツルメント病院の検査結果が新認定基準の条件を満たしているかどうかの判定はできない。
しかし、昭和四五年九月九日には誘発後の尿中鉛量一〇七五という異常な高い数値を示しており、これに全幅の信頼は措けないまでも、鉛の影響を無視することはできない。
また、昭和四五年一一月一九日以降は尿量も測定されているので尿中鉛の絶対量がわかるところ、鑑定人山口誠哉の鑑定の結果及び証人山田信夫の証言によれば、一日の尿中鉛量は誘発二時間後の鉛量の二ないし五倍と考えてよいことが認められ、これによると、昭和四六年六月八日の誘発後二時間の尿中鉛量は二二六・一マイクログラムで、これを二四時間値に換算すれば、四五二・二ないし一一三〇・五マイクログラムとなり、新認定基準の五〇〇マイクログラムに達することとなる。右は正確な数値とはいえないとしても、鉛の生体への影響を窺うに足りる検査結果と考えてさしつかえないものといえる。
(二) 血中鉛について
新認定基準においては血中鉛量は六〇マイクログラム・パー・デシリットル(以下血中鉛の単位は同じ)以上とされているところ、昭和四五年七月二四日の六四は、右基準に定める数値を上回っている。
もっとも、鑑定人山口誠哉の鑑定の結果及び証人山口誠哉の証言によれば、原告は右七月二四日の前日の夕方まで除鉛剤サンクレプトンEを服用していると考えられるので、右七月二四日の鉛濃度は除鉛剤非服用時とは異なっている可能性があるとしてこれを採用すべきではないとしていることが認められ、新認定基準の解説によるも、「検査の結果による数値は、いわゆる誘発法を行った後の測定値ではない。」とされている。
しかし、除鉛剤服用の影響がどの程度のものであるかを確認するに足りる資料はないし、(証拠略)によれば、氷川下セツルメント病院の山田信夫医師は右六四の数値を非誘発の数値であるとしていることが認められ、「誘発法」、「非誘発」の語を如何に解するか問題はあるとしても、右六四の数値は形式的には認定基準が定める血中鉛六〇を上回っているということはできる。
また、右基準値には達しないが、昭和四五年六月一九日には五〇、同年七月一〇日には四七、同月二七日には再び五〇、さらに同年九月一八日には四六と、比較的高い数値がくり返しみられるのであり、基準値に達しないとはいえ、高い数値がくり返し出現している点は鉛中毒の認定にあたり考慮すべきである。これらの数値も、たとえ除鉛剤服用の影響があったとしても、(証拠略)によれば、除鉛剤を静脈内注射しても静脈内の鉛量にみるべき変化はなかった旨の報告もあることが認められ、鉛中毒症の判定にあたって右数値は無視すべきものではない。
(三) 尿中コプロポルフィリンについて
新認定基準によれば、一週間の前と後の二回にわたり、尿中コプロポルフィリンが一五〇マイクログラム・パー・リットル以上検出されることとされている。
尿中コプロポルフィリン検査は、昭和四三年五月の古河電池の特殊健康診断で二六・四マイクログラム・パー・リットル測定の、昭和四五年七月七日の慶応大学病院で一二一マイクログラム・パー・リットル測定の定量検査がなされているほかは、すべて定性検査で、認定基準に達しているか否かを直接判定することはできない。
氷川下セツルメント病院受診以前の検査では、昭和三九年一一月、昭和四四年二月に(±)があるだけで、それ以外はいずれも陰性である。氷川下セツルメント病院受診後は、×2(+)、×4(+)、×8(+)、×16(+)などがみられるところ、山田信夫医師によれば、×2(+)は六〇ないし一二〇マイクログラム・パー・リットル(以下同じ)、×4(+)は一二〇ないし二四〇、×8(+)は二四〇ないし四八〇、×16(+)は四八〇以上ということである。
氷川下セツルメント病院での×8(+)等の表示は、定量を示すものではないから直ちに認定基準の数値と比較することはできないが、×8(+)、×16(+)など高い数値で、かつ、増加があったことが推認され、しかも前掲甲第五四号証によれば除鉛剤を服用していない時期にも×4(+)等の高い値を検出していることが認められ、鉛中毒症の判別にあたり全く無視してよいものではない。
なお、旧認定基進によれば、一週間にわたり尿中に明らかにコプロポルフィリンが増加しているものとされていたところ、氷川下セツルメント病院における右検査の結果は、右基準のとおり正確に測定されたものではないが、少くとも、増加傾向を窺知しうるものとして考慮に値いするといえる。
(四) 尿中デルタアミノレブリン酸について
昭和三二年七月から昭和四六年一〇月までの間に尿中デルタアミノレブリン酸について、昭和四五年七月七日に一回しか検査をしておらず、その傾向を把握することはできない。したがって、一回だけの検査結果が新認定基準の定める尿一リットル当たり六ミリグラム以上の数値を示さないからといって、これをもって新認定基準に該当しないということはできない。
(五) 赤血球数について
新認定基準では、日を改めて数日以内に二回以上測定し常時四二〇万個未満であることとされている。
ところで、昭和四四年三月三一日に三九六、同年四月五日に三八九、同月一八日に四一二、昭和四五年四月七日に三三一、同年六月九日に三九六、同月一五日に四一五、同年七月二日に四一五、同年九月三日に四〇五、同年一二月二六日に四一〇、昭和四六年二月一七日に三七四、同月二六日に四〇〇、同年四月二一日に四〇二、同年九月二九日に三八一、同年一〇月二八日に三九五と認定基準の四二〇万個未満の数値がみられる。
その間に四二〇万個以上の検査結果も検出されているから、四二〇万個未満が常態であるとはいえないまでも、鉛による貧血徴候としての赤血球数の減少を窺うことができる。
なお、原告に、ほかに貧血症があるとの証拠はない。
(六) 全血比重について
新認定基準によれば、日を改めて数日以内に二回以上測定し、常時全血比重が一・〇五三未満であることとされている。
ところで、昭和三七年二月に一・〇五二、昭和三八年四月に一・〇五一五、昭和四一年一一月に一・〇五二五、昭和四四年五月に一・〇五一、昭和四五年一〇月九日に一・〇五一、同月二三日に一・〇五一と認定基準である一・〇五三未満の数値が検出されている。
しかし、基準所定の測定がなされておらず、また、その間に一・〇五三を超える数値も検出されているから、右各数値等も全血比重の常態であるとはいえない。したがって、認定基準に達しているとは判定できない。
しかし、全血比重が低いことは鉛による貧血徴候を窺わせるものとして無視できない。
(七) 血色素量について
新認定基準の定める血液一デシリットル当たり一二・五グラム未満の数値を満たすものはない。
なお、旧認定基準について付言する。
(一) 血中鉛、尿中鉛(但し誘発についての基準はなかった。)、赤血球数、全血比重、血色素量の数値は新認定基準と全く同一である。
(二) 旧認定基準では、好塩基斑点赤血球についての定めがあり、尿中コプロポルフィリンについて数値を示さず、一週間にわたる尿中におけるコプロポルフィリンの増加をみることとしていた。
したがって、前示新認定基準に該当するか否かの検討はすべて旧認定基準についてもあてはまるものである。
9 以上によれば、原告についての諸検査の結果の数値は、わずかに、血中鉛において一度だけ形式的に認定基準に定める数値を上回る数値を検出し、赤血球数において新、旧認定基準に定める数値に該当するものが散見されるほか、その他の検査結果は認定基準に定める数値に達しないか、または所定の条件を満たしていないといえる。しかしながら、諸検査の結果の数値は、認定基準が定める数値に近かく、いわば限界領域の数値を示しているものもあること、血中鉛、尿中鉛の数値については、除鉛剤使用の影響が考えられるとしても、正常人の平均値よりも高い数値であると考えられること、前説示のとおり除鉛剤の尿中鉛量、血中鉛量への影響、その効力の持続時間等が必ずしも明らかでないこと、尿中コプロポルフィリンについては定量測定がなされていないものの高濃度であることが推測できることに鑑みれば、多くの検査結果が認定基準の定める数値に達しないことをもって、鉛中毒症に罹患していることを否定し去るのは早計に過ぎるといわねばならない。
10 鉛中毒症を否定する見解について
鉛中毒症に罹患しているかどうかの判断は所詮医学的判断であり評価の問題であるところ、鉛中毒症を否定する諸医の見解について考察する。
(一) 前掲(証拠略)によれば、汐田病院、大師病院では鉛中毒を否定している。しかし、いずれも、血中鉛等の検査結果を基にしてこれを否定しているのであるが、右検査は一、二回なされたにすぎず、鉛中毒症について判断する資料としては乏しいものといわざるを得ない。
(二) (証拠略)によれば、慶応大学衛生学教室の土屋教授も鉛中毒症を否定している。しかし、一回の検査結果を基に判断し、比較的高い数値については非誘発値といえないことを理由として鉛中毒症ではないとしているが、前示のとおり除鉛剤の影響を全く否定することはできないとしても、検査結果の中には鉛中毒症の判定上無視すべきではない数値もあることを看過していると考えられ、この点の考察を欠く右見解には疑問がある。
(三) (証拠略)によれば、関東労災病院の余村医師も鉛中毒にみられる症状、検査結果がみられないことを理由に鉛中毒症を否定している。しかしながら、同医師が鉛中毒にみられる症状としてあげるものは、鉛中毒に典型的な症状のみであり、前示のとおり鉛中毒の症状は多様であって、医学者によっては、全身症状であるとする程のものであるから、同医師のかかげる典型的な症状が現れなくとも鉛中毒症と判断される場合もありうると考えられる。また、同医師の掲げる赤血球の多染性、好塩基性斑点、ポルフィリン尿についても、これらが現れなくとも鉛中毒症と判断されることもあるのであって、現に好塩基性斑点は新認定基準では、はずされているところである。
また、同医師は、尿中鉛量、血中鉛量、尿中デルタアミノレブリン酸の検査をしておらず、かつ、これらについて言及していないが、これらの検査結果も鉛中毒症の判定には有意義であるから、同医師の見解はその資料において不十分なものといわざるを得ない。
(四) 鑑定人山口誠哉の鑑定の結果及び証人山口誠哉の証言によれば、筑波大学社会医学系山口誠哉医師は、原告の症状はNAS一九七二年、WHO Work Shop一九七七年の統一見解における影響評価の基準によれば、第二レベルすなわち、臨床水準以下の最少代謝影響を中心とする水準あるいはそれ以下に一致するものと思われるとし、鉛中毒症を否定する。
しかし、右影響評価基準は国際的な基準であるとはいうものの、前記労働省の定める新旧認定基準とは係りのないものであって、一つの純粋な科学的な立場における見解に過ぎないと解せられる。
なお、同医師は赤血球の寿命を測定していないこと、血球の増殖性の指摘がなされていないこと、腎機能に異常を示す検査成績がないこと等をも挙げて鉛中毒症を否定しているのであるが、右認定基準は、これらを要求していないのであって、あまりにも厳格に過ぎる判別の立場ではないかと考えられる。
原告の症状がその多彩な愁訴にもかかわらず、鉛中毒症として、さほど重症の部類に属するものでないことは窺えるが、右見解によって鉛中毒症であることを否定し去るのは、いささか躊躇される。
11 以上認定の事実によれば、原告が従事してきた作業内容、期間、作業職場の環境が鉛中毒症にかかる可能性が十分あること、原告が古くは昭和三七年ころから膝関節痛等を訴えはじめ、殊に昭和四四年二月以降は鉛中毒症にみられる症状がいくつもあらわれ、しかも一進一退しながら長期にわたってその症状がみられ、そのうち筋肉痛、関節痛、四肢のしびれ、知覚鈍麻などは終始共通した症状であること、検査結果の数値は、血中鉛が一度形式的に認定基準に定める数値を上回ったことがあり、赤血球数が認定基準の数値を満たしたことがあるほか、新旧認定基準の定める数値には達していないものの、除鉛剤の使用による影響を考慮しても、尿中鉛、血中鉛について比較的高い数値が検出され、尿中コプロポルフィリンも定性検査ではあるが高い数値が推測されること、全血比重も頻回にわたって低値を示したことを彼此総合して考えると、原告の昭和四四年二月ころ以降の症状は、鉛中毒症であると推定するのが相当である。
以上のとおり、原告の症状が鉛中毒によるものと推定すべきものであるとすれば、原告が長期にわたり鉛の暴露を受ける可能性のある作業環境で鉛蓄電池製造工程における手充填、産業組立等の作業に従事していたことは前記説示のとおりであるから、原告の右疾病(鉛中毒症)は業務に起因するものと推定すべきである。
12 被告監督署長は、原告の症状について、いわゆるスモンの疑いがある旨主張する。
(証拠略)を総合すれば、原告は、昭和四二年二月二〇日から同年一一月一〇日まで汐田病院で診療を受けたが、その際、同病院でエンテロ・ビオフォルムの投与を受けて、これを服用したこと、エンテロ・ビオフォルムは、〇・四グラム又は一錠中に二五〇ミリグラムのキノホルムを含有すること、原告が服用したエンテロ・ビオフォルムの総量は一一〇グラムに達すると概算されること、原告は、右エンテロ・ビオフォルムを服用中及び服用後、腰痛、下肢のしびれ、足の裏のしびれなどを訴えていること、昭和四三年二月神奈川県立成人病センターに受診した際、昭和四二年六月薬を飲んだところ膝より下にしびれを感じ、その後下駄のぬげたのがわからないときがあり、スポンジの上を歩くような気がする旨の訴えをなしていること、キノホルム剤一〇〇グラム以上服用によるスモン患者は、スモン調査研究会グリーンブック8号によれば、九五〇名の患者中最大投与群に入り、全体の七・八パーセントにあたる異常なる大量投与の部類に属することが認められる。
成立に争いのない(証拠略)によれば、スモン調査研究協議会により、スモンの臨床診断指針が設定されているところ、その内容は次のとおりであることが認められる。
必発症状
(一) 腹部症状(腹痛、下痢など)
おおむね、神経症状に先立って起こる。
(二) 神経症状
(1) 急性または亜急性に発現する。
(2) 知覚障害が前景に立つ。両側性で、下半身、ことに下肢末端につよく、上界は不鮮明である。とくに、異常知覚(ものがついている、しめつけられる、ジンジンする、その他)を伴ない、これをもって初発することが多い。
参考条項(必発症状と併せて、診断上きわめて大切である。)
(一) 下肢の深部知覚障害を呈することが多い。
(二) 運動障害
(1) 下肢の筋力低下がよく見られる。
(2) 錐体路徴候(下肢腱反射の亢進、バビンスキー現象など)を呈することが多い。
(三) 上肢に軽度の知覚・運動障害を起こすことがある。
(四) 次の諸症状を伴なうことがある。
(1) 両側性視力障害
(2) 脳症状、精神症状
(3) 緑色舌苔、緑便
(4) 膀胱・直腸障害
(五) 経過はおおむね遷延し、再燃することがある。
(六) 血液像、髄液所見に著明な変化がない。
(七) 小児には稀である。
右スモンの臨床診断指針にみられる症状と、前示の慢性鉛中毒の症状とを対比してみるに、下肢異常知覚、下肢筋力低下、上肢知覚運動障害、視力障害、精神症状等共通する症状がみられる。
原告の前示諸症状の中には、右臨床診断指針にあげられている症状がいくつか含まれていることは否定できない。
ところで、(証拠略)、鑑定人山口誠哉の鑑定の結果、証人山口誠哉の証言によれば、関東労災病院神経内科の余村吉一医師、神奈川県立成人病センター内科の横山医師、鑑定人山口誠哉らは、原告の症状につきスモンの疑いがあると診断していることが認められるが、スモンであると断定するものではない。もっとも右(証拠略)によれば、余村医師は同医師において通常用いている診断基準の全部を満していないからスモンと断定することができない旨診断していることが認められる。
他方、(証拠略)中、東京大学医学部附属病院神経内科井形昭弘の御返事と題する書面、(証拠略)中、東京大学医学部附属病院神経内科滝田杏児の御返事と題する書面によれば、井形昭弘医師、滝田杏児医師は、いずれも原告の症状についてスモンではないとする診断を下していることが認められるが、いずれも原告がエンテロ・ビオフォルムを服用したことを考慮していない疑いがあり、右井形医師、滝田医師の診断を直ちに採用することも躊躇される。
そうすると、原告の症状につきスモンの疑いがあることは、これを認めざるを得ない。
しかしながら、本件全証拠によるも、原告の症状がスモンであるとの確定診断がなされた事実は、これを認めることができない。
そうすると、前段説示の事実上の推定はいまだ揺るがないものといわねばならない。
ちなみに、原告の右症状がスモンであるとの確定診断がなされた事実の証明がなされたときは、前示の推定は揺るがされ、原告の症状が鉛中毒症であるか否かの見直しをせまられることになるであろう。
(なお、原告は昭和四五年三月一〇日、被告監督署長に対し「頸腕症候群、腰痛症」の傷病名をもって昭和四四年一二月二五日から昭和四五年二月二三日までの六〇日間についての労働者災害補償保険法による休業補償給付の請求をなしている(当事者間に争いがない。)が、労働基準法第七五条は「業務上疾病にかかった場合」と定めているのみであるから、被告監督署長は請求人である原告の付した傷病名に拘束されるものではなく、要は業務に起因する疾病について補償給付の請求があれば、その疾病の有無が客観的に認定されるべきものである。)
三 被告審査会の裁決の違法性の有無
1 立入調査の結果について
被告審査会が昭和四七年八月二三日、古河電池に立入調査したこと及びその後右審査会の構成員が変わり、伊集院兼和が審査に加わったことは当事者間に争いがない。
証人四方陽之助の証言によれば、右立入調査は、鉛蓄電池作業の作業環境、作業態様を見るために行なわれたものであること、伊集院委員は労働省衛生課長等をしたことのある経歴から、蓄電池工場の作業環境、作業態様についての知識を有していたので、改めて立入調査をしなかったことが認められ、成立に争いのない(証拠略)も右認定に反する証拠とはならない。
そうすると、原告主張(一)のような違法があったとは認められない。
2 審理不尽について
被告審査会の四方陽之助審査長が、被告監督署長に対し、原告主張のような資料の提出をするよう発言したことは当事者間に争いがなく、成立に争いのない(証拠略)及び証人四方陽之助の証言によれば、これに対し、被告監督署長側より口頭で、昭和四六年九月二九日、一〇月四日の監督結果、同年一一月一八日と一二月二日の監督結果、昭和四七年七月一四日の監督結果の説明があったこと、本件再審査審理は通常の事件に比べ長い審理をなしたうえ、最終的には信太参与の意見を聞いて結審したことが認められる。
ところで、被告審査会のする審査の進行については、労働保険審査官及び労働保険審査会法に特段の定めはなく、すべて同審査会の裁量によらしめていると解せられるところ、被告審査会の本件裁決に、原告主張のような審理不尽があったことを認めるに足りる証拠はなく、また、仮に審査長四方陽之助の資料の提出の要求が労働保険審査官及び労働保険審査会法四六条に基づく提出命令であったとしても、審理を終結するか否かは被告審査会の専権に属することであって、資料の提出がないまま審理を終結しても、直ちに審理不十分ということはできない。
3 合議体の構成について
証人四方陽之助の証言によれば、被告審査会は、原告の再審査請求に対し、四方陽之助ほか二人の委員からなる合議体で審理し、裁決したことが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。
4 以上のとおり、被告審査会のした本件裁決に裁決固有の違法があるとは認め難い。
四 結論
以上によれば、原告の本件各請求にかかる期間当時の疾病を業務上の事由によるものでないとした被告監督署長の本件各処分は違法であり、いずれも取消を免れないので、原告の同被告に対する請求は理由があるからこれを認容し、被告審査会に対して同被告のなした本件裁決の取消を求める請求は理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、九二条本文を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 小川正澄 裁判官 三宅純一 裁判官 竹内民生)